ものいわじ(光照前)

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ものいわじ 父は長柄の はしばしら
鳴ずばきじも 射られざらまし
光照前

■ 訳

つい口にしてしまった言葉ゆえに、父は長柄川の人柱にされてしまった。 雉子よ、お前も鳴かなければ射られることもなかったろうに・・・。

■ 解説

「もの」はなんとなく、「いわじ」は話してしまった、「長柄」は長柄川、「ざらまし」はなかっただろうに、をそれぞれ意味します。
何気なく話してしまったこととから死ぬ羽目になった父と、縄張りに入ったものを誰彼構わず大声で鳴き威嚇するキジの様子を重ねた句となります。

■ この詩が詠まれた背景

この詩が詠まれたとされる飛鳥時代の頃において、長柄川(大阪府)に橋を架けることは困難な作業でした。過去にも橋は掛けられましたが、水害に遭い何度も流されていました。
そのため、強固な橋を架けるには人柱を神に捧げる必要があるという話になりました。
さて、その人柱を誰にするかということで、その土地の長者である厳氏(いわじ)に相談したところ、「袴に継ぎのある人を人柱にしなさい」と答えました。
ところが、皮肉にもその厳氏の袴に継ぎがあったため、厳氏が人柱として捧げられることになってしまいました。

ところで、厳氏には大変美しい一人娘の光照前(てるひのまえ)がおりました。
請われて河内国交野郡禁野の地に嫁ぐことになっておりましたが、父親が人柱になってしまったことにショックを受け、一切話すことが出来なくなってしまいました。
心の傷を癒すため実家に帰されることになったのですが、夫に送られる途中、雉子が鳴いたのを聞きつけた夫がそれを射止め、光照前に差し出しました。
それを見た光照前は、美しい声で上の詩を詠みあげました。
話せるようになったことを知った夫はたいへん喜び、二人して禁野の地へと帰ろうとします。
しかし、諸行無常を悟った光照前は髪を剃り、父の菩提を弔うため草庵を建て尼になりました。その場所は後に不言寺(ふごんじ)と呼ばれるようになりました。

不言寺は既に廃寺となってしまっており現存しませんが、本尊である笑地蔵は今も京都府八幡市橋本平野山にある講田寺に納められているそうです。

■ 豆知識

この話と似た話が神道集に収録されているため、この話自体は創作である可能性が高いかと思われますが、同様の『キジが鳴く=口は災いの元』をテーマにした話はさまざまな場所で作り出されています。

岐阜県大垣市には、『口ゆえに父は長良の人柱 雉子も啼かずばうたれまい 』といった句が残されています。
長良川の人柱になってしまった父に気が動転した娘、お里が悲しみのあまり声が出なくなってしまうのですが、キジの一声によって声が出るようになる、といったお話です。

もっとも有名な話は石川県の犀川周辺に伝わるお話でしょう。
病気の娘を元気付けるため、地主の家から一掬いの小豆と米を盗んだ弥平。
弥平の娘、お千代は小豆ご飯を食べられたことで無事健康を取り戻すのですが、そのことを思わず口ずさんでしまいます。
それにより父は捕らえられ、当時氾濫していた犀川の人柱とされてしまいました。
自分のせいで父を人柱にしてしまったお千代はそのショックから口が利けなくなってしまいます。
何年かした後、猟師がキジを撃った際、お千代がその場に現れました。
『キジよ、お前も鳴かなければ撃たれずにすんだものを・・・。』 キジを抱き、一言こう呟いた後、お千代は姿を消しました。

どの話にもキジが登場し、重要な役割を演じますが、『焼け野(やけの)の雉(きぎす)夜の鶴(つる)』という諺があるように、親の情の深いキジを物語に登場させることで、ストーリーにいっそうの深みを持たせたのではないでしょうか。
なお、キジは日本の国鳥に指定されています。

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