■ 解説
「かりほの庵」は農作業用の仮小屋を、「とま」は屋根に使うむしろを、「あらみ」は(目が)粗い、「衣手」は着物の袖、といった意味になります。
この句は情景を詠んだもので、実際に濡れていた『我が』の部分は、農夫であると推測されます。
雨宿りなのに何故雨で無く「露」なのか、という疑問が浮かぶと思いますが、「露」とは狩衣など、袖を括る為の紐の先を意味します。
つまり袖をくくる紐と、ぬれた袖を紐付けした様子を掛けた詩ということになります。
■ この詩が詠まれた背景
この歌は後撰和歌集第六巻「秋歌中」及び、小倉百人一首の第一首目に記載されている詩です。
■ 豆知識
天智天皇(てんじてんのう)は中臣鎌足と大化の改新を行った中大兄皇子のことですが、大化の改新自体が後の藤原氏による改ざん、誇張した内容であった可能性も指摘されています。
ちなみに、大化の改新時に倒された蘇我氏の蘇我馬子は三国志の董卓と比喩されていた事から、この頃には既に三国志が日本に伝わっていたことが分かっています。
この詩自体、万葉集第十巻(2100首目)に収録されている『秋田苅る借廬を作り吾が居れば衣手寒し露ぞ置きにける(よみ人しらず)』の本歌取か、改変である可能性が指摘されています。
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