秋の田の(天智天皇)

短歌 に関する記事

秋の田の かりほの庵の とまをあらみ
我が衣手は 露にぬれつつ 天智天皇

■ 訳

秋、田んぼに作った掘っ建て小屋で雨宿りしていると、屋根の目が粗くて袖が露で濡れてしまったよ。

■ 解説

「かりほの庵」は農作業用の仮小屋を、「とま」は屋根に使うむしろを、「あらみ」は(目が)粗い、「衣手」は着物の袖、といった意味になります。
この句は情景を詠んだもので、実際に濡れていた『我が』の部分は、農夫であると推測されます。
雨宿りなのに何故雨で無く「露」なのか、という疑問が浮かぶと思いますが、「露」とは狩衣など、袖を括る為の紐の先を意味します。
つまり袖をくくる紐と、ぬれた袖を紐付けした様子を掛けた詩ということになります。

■ この詩が詠まれた背景

この歌は後撰和歌集第六巻「秋歌中」及び、小倉百人一首の第一首目に記載されている詩です。

■ 豆知識

天智天皇(てんじてんのう)中臣鎌足大化の改新を行った中大兄皇子のことですが、大化の改新自体が後の藤原氏による改ざん、誇張した内容であった可能性も指摘されています。

ちなみに、大化の改新時に倒された蘇我氏蘇我馬子は三国志の董卓と比喩されていた事から、この頃には既に三国志が日本に伝わっていたことが分かっています。

この詩自体、万葉集第十巻(2100首目)に収録されている『秋田苅る借廬を作り吾が居れば衣手寒し露ぞ置きにける(よみ人しらず)』の本歌取か、改変である可能性が指摘されています。

コメント

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僕は何があってもこの歌は天智天皇の歌と信じて暗記します
Posted by 林淳一 at 2022年04月29日 09:38
林様、コメントを頂きありがとうございます。

ほぼ確実に天智天皇作と思われる詩は万葉集の四首(三山歌と鏡女王に贈った一首)及び、日本書紀の斉明天皇が崩御された際に詠まれた一首の五首かと思われますが、百人一首を選歌した定家も林様と同様に天智天皇が詠まれた詩と信じて第一首目に選んだのだと思います。

二首目の持統天皇(天智天皇の娘)の詩と比較すると、秋雨を詠む天智天皇(恐らく九月頃)と春から夏への移り変わる(恐らく五月頃)快晴を詠む持統天皇との比較は面白いですよね。
Posted by waka at 2022年04月29日 22:24

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