春過ぎて(持統天皇)

短歌 に関する記事

春過ぎて 夏きにけらし しろたへの
ころも干すてふ あまのかぐやま 持統天皇

■ 訳

春が過ぎて夏がきたみたい。
真っ白な衣が天香久山に干されているのが見えるわ。

■ 解説

「き(来)にけらし」はやってきたようだ、「しろたへ」は白妙(神事に使う白い衣)、「ほすてふ」は干すという、といった意味になります。
天香久山(原文では天香具山)は現在の奈良県橿原市にある山のことで、大和三山と呼ばれ、歌枕として他の和歌にも登場しています。

■ この詩が詠まれた背景

この歌は万葉集第一巻(28首目)、新古今和歌集 第三巻 (夏歌 175首目)に収録されており、小倉百人一首の第二首目に選ばれた詩です。
ここで登場する白妙は、神事で用いた白装束であったという説や、直衣(のうし)であったという説などがあります。

万葉集の題詞には「藤原宮御宇天皇代 高天原廣野姫天皇 元年丁亥十一年譲位軽太子 尊号曰太上天皇 / 天皇御製歌」(藤原京で治世を行われていた天皇代 持統天皇 文武天皇元年(697年)軽太子(文武天皇)に譲位する 太上天皇(持統上皇)/ 持統天皇が作られた歌)とあります。

■ 豆知識

持統天皇天智天皇の娘で、41代、史上4人目の女性の天皇です。
父である天智天皇の弟である天武天皇の皇后で、息子に草壁皇子がいます。
天武天皇と持統天皇の治めた期間を天武・持統朝と呼び、日本の政治、宗教、文化、歴史等に関する雛形が作られた時期で、非常に重要な時代です。

万葉集第一巻(28首目)に収録されている詩は『春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山』になります。
なお、「来るらし」を訳すと同様に「来たようだ」になります。

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コメント

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百人秀歌でも天智天皇のは1番で持統天皇は2番なのですね
Posted by 林淳一 at 2022年05月25日 17:11
林様、沢山のコメントを頂きありがとうございます。
こちらのコメント以外にも数多くのご感想やご質問を頂いておりましたが、前回回答させていただいた内容に繋がりの深いこちらのコメントにのみ回答させていただきます。

百人秀歌についてですが、宮内庁書陵部に残されていた京極黄門撰と書かれた写本が戦後(昭和26年)見つかったことから広く知られるようになった、割と最近発見された資料です。
定家の残した日記、明月記の記載(文暦二年五月二十七日: https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991255 235コマ目、画面左端の線引きされている部分)に、入道(宇都宮頼綱)から障子に貼るための和歌を頼まれたため、古来の人(天智天皇)から(定家の時代の現在)藤原家隆、飛鳥井雅経までの歌を各一首選んだとの記述があり、これが百人秀歌の事だと考えられています。

百人秀歌、あるいはその原本が明月記の記載通り「古来の人から(当時)最新の歌まで選んだもの」であるなら、時代順に沿って選ばれたのはそういった経緯があったからということになります。
ですので、天智天皇の娘である持統天皇が二首目として選ばれたのは定家、あるいは依頼者である頼綱の趣旨に沿ったものとなりますね。
Posted by waka at 2022年05月29日 17:01

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