あめつちの(山部赤人)

長歌 に関する記事

あめつちの 別れし時ゆ 神さびて
高く貴き 駿河なる 富士の高嶺を
天の原 振りさけ見れば
渡る日の 影も隠らひ
照る月の 光も見えず
白雲も い行きはばかり
時じくぞ 雪は降りける
語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 富士の高嶺は
山部赤人

■ 訳

天地開闢の時から神々しく、駿河の国(現在の静岡県)にある高く尊い富士山の天空にそびえるような高さは、はるか上空(高天原)から見たなら、一面を照らす太陽の光だって(富士山に)隠れてしまうだろうし、月の光だって見えなくなってしまうことだろう。
雲も(富士山の偉大さに恐縮して)進むことが出来ないので、絶え間なく雪が振る積もっている。
いつまでもずっとずっと語り継いでいこう、富士の高嶺を。

■ 解説

「あめつちの」は「天地の」と書いて天と地、「別れし時ゆ」は分かれた時から、つまり天地開闢時から、「神さびて」は神々しく、「天の原」は(神々が住むと言う)高天原、もしくははるか上空、「振りさけ見れば」は、はるか遠くから見れば、「渡る日」は移動する太陽、「影」は(太陽の)光、「はばかり」は恐縮する、「時じ」は時期に関係なく、もしくは絶え間なく、「継ぎ」は世継ぎ(子世代)をそれぞれ意味します。
富士山の偉大さをたたえる詩で、特にどこが素晴らしいのかは反歌である「田子の浦ゆ」にて詠われています。

■ この詩が詠まれた背景

この歌は万葉集第三巻、317首目に記載されている歌です。
冒頭に「山部宿祢赤人望不盡山歌一首」と書かれてある通り、「不盡山」つまり富士山を詠んだ詩です。

■ 豆知識

山部赤人の和歌は叙景歌で知られ、特に反歌では客観的な詩が多く詠まれています。

太陽の「日」と「月」、「影」と「光」は対句と呼ばれる表現方法です。
「語り継ぎ」と「言ひ継ぎ」は反復と呼ばれる表現です。

■ 関連地図


大きな地図で見る

コメント

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。


永年,詩吟を楽しんでいます。来春の初吟会に「山部宿禰赤人,富士の山を見る歌一首併せて短歌」を三十人程で一人ずつ発表する準備を進めています。荘厳に語り継ぎ言い継ぐいく一助 になればを目指し練習をつずけます。
Posted by 岡本忠 at 2020年10月11日 08:06
岡本忠様。

コメントを頂き、ありがとうございます。
コメントを頂けて、とても嬉しいです。

この詩はいわゆる土地讃め(国讃め)の歌と呼ばれるもので、土地を讃えることでその地を守る神様の加護を授かり、恵みと安寧を祈願した歌になります。

万葉集のこの次に載せられている詩は、高橋虫麻呂の「なまよみの …」から始まる長歌になるのですが、この詩は富士山が活発に活動している様子を詠んだ歌で、「燃ゆる火を雪もち消ち 降る雪を火もち消ちつつ」という表現から雪が積もることなく溶けて消える様子が詠まれています。
高橋虫麻呂は山部赤人とほぼ同時期に活躍した歌人ですので、山部赤人の詠んだ反歌の「白妙の 富士のたかね」という表現はそぐわないことになります。

反歌の説明で書いたように山部赤人が詠んだ頃は火山活動が活発ではなかった可能性もありますが、単に情景を詠んだ訳でなく、その土地に住まう人々の言い知れぬ不安を真っ白な「雪」という言葉(言霊)で拭うことで祈りを捧げたのかもしれません。
「語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ」と念を押すかのように詠んだ部分にも、赤人の思いが感じられます。

ところで詩吟を楽しめる同好の士がいらっしゃるとのこと、とても羨ましく思います。
COVID-19という新型肺炎の影響で色々と不安や不自由を感じさせる日々が続いていますが、何卒お体を大切に詩吟をお楽しみくださいね。
Posted by waka at 2020年10月11日 20:40

コメントを書く

お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: