これやこの(蝉丸)

短歌 に関する記事

これやこの 行くも帰るも 別れつつ
知るも知らぬも 逢坂の関 蝉丸

■ 訳

ここがかの有名な、旅立ちで別れ、行き交う人々が新たに出会うという逢坂の関なのか。

■ 解説

「これやこの」はこれがかの有名な、「行くも帰るも」は旅立つ人と見送る人、「知るも知らぬも」は「知っていた人も見ず知らずだった人も」、といった意味になります。
「行くも帰るも」、「知るも知らぬも」がそれぞれ対句になっており、「逢坂の関」は歌枕です。

■ この詩が詠まれた背景

この歌は後撰和歌集十五巻(雑歌一 113首目)、小倉百人一首の第十首目に記載されている歌です。
「逢坂の關に庵室を造りて住み侍りけるに行きかふ人を見て」とあることから、どうやら蝉丸はわざわざ関所に近い場所に庵を建てて住んでいたようです。

ところで「逢坂の関」とは、当時山城国と近江国の国境(現在の京都と滋賀の間)に設けられていた関所のことで、当時この関の東側を東国(あづま)と呼んでいました。
古代日本において、京都から見た東国方面は朝廷の支配がまだ十分に届いていない未開の国で、逢坂の関が当時の日本の国境のようなものであったと推測されることから、当時の日本の最東端である逢坂の関を「ここがかの有名な」と詠んだのでしょう。

■ 豆知識

蝉丸も詳細が不明な人物です。
琵琶法師であったという話、物乞いであったという話、皇子であったという話等々諸伝あり、詳しくはよく分かっていません。

「逢坂の関」は清少納言も詠んだ詩があり、こちらも小倉百人一首に選句されています。

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