■ 解説
「わびぬれば」は思い悩み行き詰っている、「今はた同じ」は今となっては同じこと、「難波なる 身をつくしても」は難波(歌枕)にある海の目印である澪標(みおつくし)と、この身を尽くすの掛詞、「逢はむとぞ思ふ」は逢いに行こうと思う、あるいは決心するを意味します。
かなり情熱的な詩ですが、謹慎中に詠まれたものです(後述)。
■ この詩が詠まれた背景
この歌は後選和歌集 第十三巻(960首目)、拾遺和歌集十二巻 恋二、小倉百人一首の第二十首目に収録されています。
後選和歌集の題名には「事いできて後に京極の御息所につかはしける」と書かれていますが、この「事」には密通のことで、現代文に直すと「京極の御息所(藤原褒子)との密通が(宇多法王)にバレた後に御息所に送った詩」となります。
この歌を詠んだ元良親王は、宇多法皇の御息所で、美女で有名な藤原褒子と密通しており、いわゆる不倫関係でした。
この歌はその不倫が法皇にばれて謹慎処分を受けた際に詠まれた詩です。
■ 豆知識
ちなみに、元良親王の詠んだ恋愛歌は30人以上の相手が確認されています。
今昔物語 第二十四巻 第五十四には「今は昔、陽成院の御子に、元良親王と申す人御座しけり。極じき好色にて有りければ、世に有る女の美麗なりと聞ゆるには、會ひたるにも未だ會はぬにも、常に文を遣るを以て業としける。」とあり、相当の女好きで筆まめだったと記されています。
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