■ 解説
「千々に」は際限なく、「物こそ」は物思いにふける、「あらねど」は〜だけじゃないだろうけど、といった意味になります。
この詩は元々白居易の漢詩が元になっています。
白居易の漢詩は日本の貴族達に多大な影響を与えており、特に長恨歌は枕草子や源氏物語にも取り込まれています。
■ この詩が詠まれた背景
この詩は古今和歌集 第四巻(秋歌上 193首目)、小倉百人一首の第二十三首目に収録されています。
古今和歌集の題名に「これさだのみこの家の哥合のうた」と書かれていることから、寛平5年(893年)の秋に開催された是貞親王家歌合に詠んだものになります。
■ 豆知識
大江千里(おおえのちさと)は中古三十六歌仙の一人で職業は学者(漢学者)でした。
この詩は白居易の燕子楼を踏まえた上で詠んだといわれています。
燕子楼は「滿窗明月滿簾霜 被冷燈殘払臥床 燕子樓中霜月夜 秋來只爲一人長」(満窓の明月、満簾の霜 被は冷やかに、燈は残(うす)れて臥床(ふしど)を払ふ 燕子楼(えんしろう)の中(うち)の霜月の夜よ 秋来(きた)たつて只一人(ただいちじん)の為に長し)、訳すと「窓いっぱいに輝く月、簾いちめんに降りた霜。掛布は冷ややかで、燈火は寝床をうすく照らしている。燕子楼の中で過ごす、霜のように冴えた月の夜は、秋になって以来、ただ私ひとりのために長い。」という詩で、唐物語にも登場している、夫、張氏の死後、未亡人眄々が独身を守り続けた想いを綴った詩となります。
白居易と張氏は旧知であり、この詩は実話に基づいたものです。
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