由良のとを(曾禰好忠)

短歌 に関する記事

由良のとを 渡る舟人 かぢを絶え
ゆくえも知らぬ 恋の道かな 曾禰好忠

■ 訳

由良の海峡を渡る船頭さんがオール(櫂)を無くして(ゆらゆらと)どこに漂着するかも分からないまま漂っているかのように、(私の)この恋の行方もこの先どうなるか分からないよ。

■ 解説

「由良」とは現在の京都府宮津市付近(若狭湾)、「と(門、戸)」は入り口、「かぢを絶え」は楫を失って(現在の表現では櫂(かい)、もしくは櫓(ろ)になります)、「行くへも知らぬ」はどこに行くか分からない、もしくは結末が分からない、といった意味になります。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は新古今和歌集 第十一巻(恋歌一 1071首目)、小倉百人一首の第四十六首目に収録されています。
「由良」から、「ゆらゆら」という擬態語を読み解かせ、また前半の海に浮かび孤独感漂う小舟から恋心を紐づけている点は斬新です。

■ 豆知識

作者は曾禰好忠(そねのよしただ)で、中古三十六歌仙の一人です。
名字から物部氏の一族ではないかと考えられていますが、詳細は分かっていません。
好忠の私家集である曾丹集にある「百ちの歌」は1人で百首詠みあげた百首歌の創始者として知られています。

長く地方官である丹後掾であったことから曾丹後(そたんご)とも曾丹(そたん)とも呼ばれていました。
下級仕官だったということや偏狭で自尊心が高いといった性格的な問題から孤立しており、生前は評価を得ることはできませんでしたが、死後その歌の斬新さや巧みさが認められて高い評価を得ました。

円融天皇が寛和元年(985年)ニ月十三日に「子の日の御遊」を催した際、呼ばれもしない席にみすぼらしい狩衣姿で推参し強引に割り込んだ挙句、祝いの掻栗(干した栗で甘栗のようなもの)のほとんどを食らい尽し、追い立てられ、蹴りだされたエピソードが有名です。
このことは小右記、大鏡、今昔物語だけでなく、曾丹集にも記述が残されています。

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