■ 解説
「夜をこめて」は夜がすっかりと更け込んで(夜が明ける前のまだ暗い時間帯:”こめて(込めて)”にはすっかりその状態になる様子を指します)、「鳥の空音は」は鶏の鳴き声、「はかるとも」は謀ろうとしても、騙そうとしても、「よに」は本当に、「逢坂の 関はゆるさじ」はかつて逢坂山にあった関所のこと(歌枕)で、通過を許すことはない、といった意味になります。
函谷関の鶏とは、史記にある、孟嘗君列伝の「鶏鳴狗盗」という故事に由来しており、清少納言がいかに漢詩に詳しかったのか分かる詩です。
ざっくり故事の内容を説明すると、斉の威王の血を引く孟嘗君は人望厚く聡明な人物でした。
噂を聞きつけた秦の昭王は彼と直接会うため使者を出し迎え入れますが、その才能を見た昭王は秦の脅威となると思い、彼を捕えて殺そうとします。
孟嘗君は手を尽しなんとか釈放されるのですが、釈放した昭王が心変わりして追ってこないか心配になり、早々に秦を出立して夜中には函谷関に到着しました。
夜中ですので当然門は閉まっていたのですが、孟嘗君の食客の中に鶏の鳴き声がうまいものがおり、関の前で鳴き真似をします。
すると空はまだ暗いのに鶏達は一斉に鳴き出しました。
「鶏が鳴き出したら門を開けること」と指示されていた門番は、その声を聞き関所の門を開けます。
翌日、案の定心変わりして追手を仕向けた昭王から孟嘗君達は無事逃げおおせることができた、という話です。
■ この詩が詠まれた背景
この詩は後拾遺和歌集 第十六巻(雜二 940首目)、小倉百人一首の第六十二首目に収録されています。
題に「大納言行成物語などし侍りけるに内の御物忌にこもればとていそぎ歸りてつとめて鳥の聲にもよほされてといひおこせて侍りければ、夜深かりける鳥の聲は函谷關のことにやといひ遣はしたりけるを立ち歸り是は逢坂の關に侍るとあればよみ侍りける」(藤原行成と夜遅くまで話をしていたのだけれど、「内裏の物忌み(厄が過ぎるまで家に篭ること)なんだ!」と、早々に帰ってしまいました。
翌朝、行成に「鶏の声に急かされちゃってさー」と言い訳されたのだけれど、「貴方が聞いたのは函谷関の鶏の嘘鳴きなんじゃないの?」と返すと、「いやいや、逢坂(つまり逢瀬にやって来たこの場所)の関の鶏だよ?」と答えたのでこの歌を詠んだ。)とあります。
■ 豆知識
作者は清少納言(せいしょうなごん)で、中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人です。
梨壺の五人の一人である清原元輔の娘で、祖父(曽祖父)は中古三十六歌仙の一人である清原深養父です。
本名は清原諾子(きよはらのなぎこ)といわれていますが、詳しくはよく分かっていません。
ちなみに、父の詩も祖父の詩も小倉百人一首に選歌されています。
枕草子の作者として大変有名です。
枕草子は随筆の起源といわれ、日常の何気ない風景を鋭い視点で観察、執筆しています。
和歌については、高名な父の名を汚したくないとの理由で積極的に詠まなかったようです。
とはいえ、勅撰和歌集に15首入集しています。
最初に結婚した橘則光とは離婚後も兄弟のように仲が良かったと伝えらえています。
橘則光との間にできた息子、橘則長は能因法師の姉妹と結婚しており、現在伝わる枕草子の写本の一つ、「能因本」はここから伝わったのではと考えられています。
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