今はただ(左京大夫道雅)

短歌 に関する記事

今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを
人づてならで いふよしもがな 左京大夫道雅

■ 訳

今となってしまってはもう(貴女への)想いを絶つ以外ありませんが、人づてではなく(貴女に)直接会ってその言葉を伝える方法は無いものでしょうか。

■ 解説

「今はただ」は今となってはもう、「思ひ絶えなむ」は想いを絶つ、「とばかりを」は〜ということだけだ、「人づてならで」は人伝以外、つまり直接、「いふよしもがな」は言う方法は無いものか、といった意味になります。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は後拾遺和歌集 第十三巻(恋三 750首目)、小倉百人一首の第六十三首目に収録されています。
題に「伊勢の齋宮わたりよりまかり上りて侍りける人に忍びて通ひける事をおほやけもきこしめしてまもりめなどつけさせ給ひて忍びにも通はずなりにければよみ侍りける」(伊勢斎宮から帰京していた当子内親王と密通していたことが(当子内親王を溺愛していた三条天皇に)バレて見張りの女まで付けられて、二度と会うことも叶わなくなったため詠んだ。)とあります。

■ 豆知識

作者は藤原道雅(ふじわらのみちまさ)で、中古三十六歌仙の一人です。
父は藤原伊周(ふじわらのこれちか)で、父親が花山法皇を弓で射掛けようとして左遷され、没落の中の一途をたどる中で育ったこともあってか、世間での風評は大変悪く、小右記によると、「花山法皇の皇女を法師隆範に殺させた」(野犬に食われた酷たらしい姿だったそうです。)、「敦明親王雑色長、小野為明を凌辱し重傷を負わせた」、「博打場で乱行した」など、悪い噂が絶えなかったため「荒三位」や「悪三位」と呼ばれていたと伝えられています。
当時の情勢は藤原道長の一族が握っており、過去多大な権力を持っていた藤原道隆の直系の子孫である道雅を政治的な工作によって意図的に追いやるため悪い噂を流していた可能性も否定できませんし、逆に道長に権力を奪われていく道雅が焦ったうえでの行動もあったのかもしれません。

なお、道雅が想いを寄せていた相手である当子内親王は、道雅が勅勘(天皇からの勅命による勘当のこと)を受け、もう二度と会うことが許されなかった悲しみからか、自ら出家しそのわずか6年後に亡くなっています。

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