恨みわび(相模)

短歌 に関する記事

恨みわび ほさぬ袖だに ある物を
恋にくちなん 名こそ惜しけれ 相模

■ 訳

(貴方を)恨み、思い煩い、干す暇も無いほど泣き濡らして(朽ち果ててしまった)袖でさえ惜しいというのに、(そればかりか貴方に)恋をしたことで(悪い噂を立てられて)傷をつけられてしまった(私の)名声はそれ以上に惜しくてたまらないのよ。

■ 解説

「恨みわび」は恨み、悲嘆に暮れ、「ほさぬ袖」は干す暇も無い袖、「だに ある物を」は〜でさえあるというのに、「恋にくちなん」は恋で朽ちてしまった、「名こそ惜しけれ」は名誉、名声が惜しくてたまらない、といった意味になります。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は後拾遺和歌集 第十四巻(恋四 815首目)、小倉百人一首の第六十五首目に収録されています。
題に「永承六年内裏の歌合に」(1051年5月5日に行われた内裏歌合で詠んだ)とあります。

■ 豆知識

作者は相模(さがみ)で、中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人で女性です。
実の父は不明ですが、養父は酒呑童子征伐や土蜘蛛退治などで有名な源頼光(みなもとのよりみつ)で、母は陰陽師、安倍清明(あべのせいめい)の師匠である慶滋保章(よししげのやすあき)の娘です。
ちなみに、源頼光には頼光四天王と呼ばれる特に力のある家来が仕えており、その中には、童話、金太郎の話で有名な坂田金時(さかたのきんとき)がいます。

相模は数々の歌合に参加していますが、いずれも高い身分であった人が後援についており、いかに相模の名声が高かったかが分かります。
また、和歌六人党の指導的立場にも付いていました。

詩に書かれているそこまで恨んでいる相手は誰なのか、ですが、おそらく離婚した夫、大江公資のことでしょう。
公資と任地である相模国に随行したのですが、現地で夫が浮気しそれが元となって破たんします。
そもそも彼女は中納言藤原定頼に好意があったのですが、公資に強引に結婚を迫られ任地まで随行したのに、夫は現地で浮気をしているのですから、(相模という名はその時の夫の官職名ですし、)妻としてはたまったものではなかったことでしょう。
その際のやり取りは今も百首歌として私家集である相模集に残っています。

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