夕されば(大納言経信)

短歌 に関する記事

夕されば 門田の稲葉 おとづれて
あしのまろやに 秋風ぞ吹く 大納言経信

■ 訳

夕方になると家の前にある田んぼの稲の葉が触れ合い音を立てて、葦を葺いた粗末な(我が)家に秋風が吹き込んでくるよ。

■ 解説

「夕されば」は夕方になると、「門田」は家の門前にある田、「稲葉」は稲の葉っぱ、「おとづれて」は音がすれると音を連れるを掛けた言葉、「あしのまろや」は葦の丸屋で、葦で屋根を葺いた粗末な家(当時一般的であった農民の家)、「秋風ぞ吹く」は秋風が吹き込んでくる、といった意味になります。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は金葉和歌集 第三巻(秋歌 183首目)、小倉百人一首の第七十一首目に収録されています。
題に「師賢の朝臣の梅津の山里に人々まかりて田家秋風といへる事をよめる」(源師賢(みなもとのもろたか:源頼光の孫に当たります)の(別荘がある)梅津の山里に集まって「田家(の)秋風」というテーマで歌を詠んだ)とあり、実際にその光景を見てその様子を詠んだ詩です。
ちなみに、源師賢は経信の遠い親戚(宇多源氏)で、師賢の父である源資通(みなもとのすけみち)は経信に琵琶を教えた師でもあります。

■ 豆知識

作者は源経信(みなもとのつねのぶ)です。
多芸多才で、同じく天才肌である藤原公任とはよく比較されていました。
息子である源俊頼(みなもとのとしより)は歌人として大成しており、経信と同様、小倉百人一首に選歌されています。

詩歌や管絃、朝廷や公家の礼式や作法といった有職故実にも詳しく、白河天皇が嵐山で三船の催しを行った際、わざと遅れてその才能を見せ付けたことから、藤原公任と同様に「三船の才」と呼ばれました。

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コメント

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あまりにも表面的な解釈です。なぜおとずれという言葉が選ばれているのか、なぜ稲の葉なのか、なぜ夕方なのか、その様なことまでなぜ言及しないのですか。この一首だけでは掘り下げようがないと仰るかもしれませんが、同じ様な内容を詠んだ歌をずらりと並べてみると、見えてくるものがあるのです。
Posted by milk3 at 2020年08月31日 11:52
milk3様。
コメントを頂きありがとうございます。
当ブログにコメントを送ってくださる方はあまりいらっしゃらないので、milk3様から貴重なご意見を頂くことができて本当に嬉しいです。

解釈の件ですが、収穫時期間近の稲穂は夕日に照らされて金色の波のように光り輝き、風に吹かれて揺れ擦れる稲葉の音は涼やかで、昼はまだ暑いが秋に入り長く待ち遠しかった涼しい風が頬を撫で、飯を炊く香りが辺りから漂ってくる、五感と季節の移り変わり、そして収穫に向けた期待感を詠んだ詩という表現もできますが、milk3様から頂いたご指摘内容では、これも表面的な解釈となりそうですね。

別の解釈として、夕方が斜陽であることから作者である経信の当時の状況、稲穂ではなく稲葉で表現した理由は「因幡」の暗喩、おとずれは下向の意思の表れ、あしのまろやは(白河院に冷遇されたことで)粗末な存在と断じた自分を指すのではないかといった解釈をされている方もおられるようですが、一般的ではないようです。

どういった解釈が正しいか当方では判断できかねますので、milk3様のご意見をご教示頂けますと幸いです。
Posted by waka at 2020年08月31日 21:37

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