■ 解説
「契りおきし」は約束しておいた、「させも」はヨモギ、「露」は儚い、あるいは少しばかり、「命」は頼り、よりどころ、「あはれ」はああ、「いぬめり」は去ってしまう、といった意味になります。
■ この詩が詠まれた背景
この詩は千載和歌集 第十六巻(雜歌上 1023首目)、小倉百人一首の第七十五首目に収録されています。
題に「僧都光覺維摩會の講師の請を申しけるをたびたびもれにければ法性寺入道前太政大臣に恨み申しけるを志めぢがはらと侍りけれど又その年も漏れにければ遣はしける」(僧都(僧侶の階級)である光覚(基俊の息子)に維摩会(法会の一つ)の講師をさせたいと思っていたけれども何度も落選。(基俊)が時の権力者である藤原忠通にお願いしたところ、「しめじが原」の古歌(なお頼め しめぢが原の させも草 わが世の中に あらむ限りは)を示した(つまり、信じて待てという意味)のだけれど、その年になっても何の連絡も無いのでこの手紙に不満をぶつけて送った)と書かれています。
■ 豆知識
作者は藤原基俊(ふじわらのもととし)で、藤原道長の曾孫です。
詩を見てもなんとなく想像つきますが、どうも性格が悪かったらしく、口を開けば当時のライバルであった源俊頼の悪口ばかり言っていたようです。
ある時、琳賢というお坊さんが後撰集からあまり知られていない歌をいくつか歌を選び出し、その審判を基俊にさせたところ例によって酷評したため、失笑を買ったと言われています。
小倉百人一首ではこの前の歌がライバル源俊頼の歌(74首目)、この後の歌が聞き入れてくれなかった上司藤原忠通の歌(76首目)となっています。
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