ほととぎす(後徳大寺左大臣)

短歌 に関する記事

ほととぎす 鳴きつるかたを ながむれば
ただ有明の 月ぞ残れる 後徳大寺左大臣

■ 訳

もしやホトトギス?と思って、鳴いていた方を眺めてみたんだけど、ただ夜明け前の月が残っていただけだったよ。

■ 解説

「ほととぎす」はホトトギス、「鳴きつる」は鳴いている、「かたを」は方を、「ながむれば」は眺めてみたら、「有明の」は夜明け前の、といった意味になります。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は千載和歌集 第三巻(夏歌 161首目)、小倉百人一首の第八十一首目に収録されています。
題に「曉聞郭公といへる心をよみ侍りける」(「ホトトギス(カッコウと書かれていますが、平安時代においてはホトトギスのことを当てる場合がありました)を暁に聞く」という題で詠んだ)とあります。

■ 豆知識

作者は徳大寺実定(とくだいじさねさだ)で、千載和歌集の撰者である藤原俊成の甥です。

当時は治承・寿永の乱(源平の戦い)が起こっており、藤原氏の権力はほぼ無力と化していましたが、平家からも源氏からも重用されており、特に源頼朝から、議奏十人の一人に押されていました。

祖父(徳大寺実能(とくだいじさねよし))が徳大寺左大臣と呼ばれていたため、同じ官職に就いた実定は、「後」徳大寺左大臣と呼ばれました。

漢詩にも才がありましたが、特に和歌の才能に優れていて、住吉神社に奉った歌が大変素晴らしかったため、徳大寺家の年貢米を届ける船が事故に遭いかけた際に住吉明神が助けた、という伝説が残っています。

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