嘆けとて(西行法師)

短歌 に関する記事

嘆けとて 月やは物を 思はする
かこちがほなる 我が涙かな 西行法師

■ 訳

月は私に「嘆き悲しめぇ〜」ってな具合で物思いにでも耽らせようとしているのかい?
いや、月のせいにしているのは(愛しい人に会えず流れ落ちる)私の涙だったねぇ。

■ 解説

「よもすがら」は一晩中、あるいは夜通し、「物思ふころは」、(あなたを)想う今日この頃、「明けやらぬ」は(なかなか夜が)明けない、「閏のひま」は寝室の隙間、「つれなかり」はつれない(無情な)ものだ、といった意味になります。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は千載和歌集 第十五巻(恋歌五 926首目)、小倉百人一首の第八十六首目に収録されています。
題には「月前戀といへる心をよめる」(月の光の恋という題目で読んだ)と書かれています。

■ 豆知識

作者は西行(さいぎょう)で、俗名は佐藤義清(さとうのりきよ)で元々武士でした。
また、法号は円位法師でしたが、後に西行と称しました。

西行は元々鳥羽上皇に仕えた武士でしたが、23歳のとき、妻、子を置いて出家します。
出家した理由については諸説あり、一般には友人の急死を知り無常を悟ったとされていますが、中にはたまたま御簾(すだれ)の隙間から垣間見た女院(待賢門院璋子と言われています)の姿に一目惚れし、あまりに恋焦がれすぎて死に掛けたので、女院が情けをかけて一度だけ逢った後、「あこぎ」と言われて失恋した、とあります。
なお、あこぎとは、「逢ふ事を阿漕の島にひく網のたび重ならば人も知りなむ」という古今和歌集に載っている阿漕のことで、歌の意味は隠し事をして何度も悪いことしてるとみんなにバレますよ、という意味で、現在は貪欲、強欲、あるいはしつこい様子を意味します。

旅人であった西行には、数多くのエピソードが残されています。
一人旅中あまりにも寂しくなり、捨て置かれた人骨と砒霜(ひそう)という薬を使って反魂法という術で友達を作ろうとするのですが、失敗して魂のない抜け殻のようなものができてしまい、高野山奥地に捨ててくるというとんでもないエピソードが撰集抄に残っています。
また、各地に西行が子供にやり込められた逸話(西行戻し)が残されています。

日本画の画題に「富士見西行」という笠、旅包みを脇において富士を眺める西行の後姿を描くものがあり、また日本舞踊に遊女江口の君と西行のやりとりを演じた「時雨西行」という演目があります。

松尾芭蕉は西行の500回忌に、奥の細道の旅に出立しています。

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