村雨の(寂蓮法師)

短歌 に関する記事

村雨の 露もまだひぬ まきの葉に
霧立ちのぼる 秋の夕暮れ 寂蓮法師

■ 訳

にわか雨が通り過ぎ、まだ露の残る立派な真木の葉の辺りまで、既に霧が立ち昇って来ている秋の夕暮れだよ。

■ 解説

「村雨」はにわか雨、「まだひぬ」はまだ乾いていない、「まきの葉」は立派な杉やヒノキ、あるいはイヌマキコウヤマキの葉のこと、といった意味になります。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は新古今和歌集 第五巻(秋歌下 491首目)、小倉百人一首の第八十七首目に収録されています。
題には「五十首哥たてまつりし時」と書かれていることから、この歌は建仁元年(1201年)に行われた「老若五十首歌合」の時に詠まれた歌です。

■ 豆知識

作者は寂蓮(じゃくれん)、俗名は藤原定長(ふじわらのさだなが)で藤原俊成の養子でしたが、俊成に実子である藤原定家が生まれた事を機に30歳代で出家しました。

勅撰和歌集最後の八代集、新古今和歌集の撰者の一人でしたが、完成を待たず没してしまいました。
なお、それ以外の撰者は源通具(堀川通具)六条有家(藤原有家)藤原定家藤原家隆飛鳥井雅経で、寂蓮の弟に当たる定家も含まれています。

六百番歌合での寂蓮と顕昭との独鈷鎌首論争(顕昭が独鈷を手に持ち、寂蓮が鎌首のように首をもたげて激しく議論した様子を見た女房たちが「例の独鈷鎌首」と囃し立てたことからその名が付きました)は有名で、「独鈷鎌首(とっこかまくび)」という言葉が論争好きの歌人を意味する四字熟語として今に伝わっています。

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コメント

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寂蓮法師は新古今和歌集を選ぶ1人だったのに出来上がる前に死去はとっても残念です。
でも歌はとってもいい和歌です
この歌を作ったとき寂蓮法師は何歳かな?
Posted by 林淳一 中薮雄太 葛飾北斎 松尾芭蕉 千利休 林由美子 くいしんボン メロディーヌ カランコロン たまごおうじ あなくま ふじおばば ケン・バーン オオガーラとムクムク じょうろう サボサボ どんぐりん はなはなマロン 乱太郎 きり丸 しんべヱ サトシ ピカチュウ カスミ タケシ アンパンマン ジャムおじさん バタコさん チーズ カレーパンマン しょくぱんまん クリームパンダ メロンパンナちゃん ロールパンナ コキンちゃん ホラーマン ドキンちゃん ばいきんまん ゾロリ イシシ ノシシ at 2021年08月10日 14:52
林淳一様、その他併記された皆様。
コメントを頂きありがとうございます。

できればお名前は1つに絞っていただければ幸いです。
(あまり長い名前では、スマホなどのモバイル環境では見づらくなってしまう可能性があります。)

寂蓮法師の生誕日は1139年頃で、この詩が詠まれたのは老若五十首歌合(1201年3月末頃)なので、満年齢で大体61〜62歳頃の詩になります。(数え年では63歳です。)
新古今和歌集の完成を見ないまま亡くなったのはとても残念ですが、平安時代の平均寿命は30歳から40歳前後と言われていますので、かなり長生きされたほうだったと思われます。
源氏物語には源氏が40歳になった際に「四十の賀(賀の祝い)」という長寿を祝う祭りが行われた記述があることから、現代の感覚でいえば40歳で還暦相当ぐらいの感覚だったのではないかと思われます。

ちなみに鎌倉時代になると戦争による影響などもあって平均寿命は20代にまで下がり、室町時代には応仁の乱などの影響か10代半ばに、安土桃山時代以降、大正時代まで30代から40代前後までじわじわと伸びた後、第二次世界大戦時に31歳まで急激に下がり、以降、平和になり、日常生活が便利になった現在、80代にまで伸びたそうです。

今回のコロナの影響やミャンマー、ベラルーシ、それらを裏で支える中国やロシアといったコロナを期に独裁体制を進める国が増えていく中、平和と健康を維持し続けられるよう願いたいですね。
Posted by waka at 2021年08月10日 18:02

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