見せばやな(殷富門院大輔)

短歌 に関する記事

見せばやな 雄島のあまの 袖だにも
ぬれにぞぬれし 色はかはらず 殷富門院大輔

■ 訳

(貴方を想って泣き染まったこの袖を)見せられれば良いのに。
(私の袖なんてあまりにも悲しくて血の涙で真っ赤に染まっているのだけど、)雄島の漁師だって袖が濡れてもこんなに染まることなんて無いでしょ。

■ 解説

「見せばやな」は見せられれば良いのに、「雄島」は松島湾に浮かぶ雄島(歌枕)を、「あま」は漁師を、「袖だにも」は袖でさえも、「ぬれにぞぬれし」は濡れに濡れてもで強調の意味、「色」は韓非子に収録されている「和氏の璧」の故事にある血涙の話から血の色、といった意味になります。
「和氏の璧」の故事をざっくり説明すると、昔中国で卞和(べんか)という人が山で玉の原石を見つけ楚国の王(脂、)に献上するのですが、ただの石だと言われて右足を斬られる刑に処されます。
卞和は納得いかず、王亡き後王の座に次いだ武王に同じ石を献上しますが、またただの石だといわれて今度は左足を斬られる刑に処されます。
武王亡き後を継いだ文王の前で、両足を失い血の涙を流し泣いていた卞和の様子を見た文王は理由を聞き、試しにその原石を磨かせると名玉が現れました。
文王はこれまでの王の軽率な行いを謝罪し、玉に卞和の名を取って「和氏の璧」と名付けました。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は千載和歌集 第十一巻(恋歌一 884首目)、小倉百人一首の第九十首目に収録されています。
題には「歌合し侍りけるとき戀の歌とてよめる」(歌合の時、恋の歌の題で詠んだ。)と書かれています。

■ 豆知識

作者は殷富門院大輔(いんぷもんいんのだいふ)で、後白河天皇の第一皇女、亮子内親王(後の殷富門院)に仕えました。

鴨長明が書き記した無名抄には小侍従と共に「近く女歌よみの上手」とあり、「千首大輔」と異名をとるほど数多くの詩を残しました。

ちなみにこの詩は、源重之の「松島の雄島の磯にあさりせし海人の袖こそかくは濡れしか」(松島の雄島の磯で漁をしている漁師の袖のように(私の袖は涙で)濡れてしまったよ)の返歌として本歌取して詠まれたものです。

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