我が袖は(二条院讃岐)

短歌 に関する記事

我が袖は しほひに見えぬ 沖の石の
人こそしらね かわくまもなし 二条院讃岐

■ 訳

私の袖が干潮になっても見ることの出来ない沖に沈む石のように、いつも涙で濡れていることを誰も知らないのよ。

■ 解説

「我が袖は」は私の袖は、「しほひ(潮干)」は干潮、「人こそしらね」は他の人は知らないのだけれど、「かわくまもなし」は常に濡れていて乾く暇も無い、といった意味になります。
平安時代は互いの袖を枕にして眠る習慣があり、片敷きには独りという意味も含まれています。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は千載和歌集 第十二巻(恋歌二 760首目)、小倉百人一首の第九十二首目に収録されています。
題には「寄石戀といへる心を」(石に寄せる恋心を詠んだ)と書かれています。

■ 豆知識

作者は二条院讃岐(にじょういんのさぬき)で女房三十六歌仙の一人、二条天皇の女房として仕えていました。
父は鵺(ぬえ)を退治したと言う源頼政です。
この詩が広く知られるようになり、「沖の石の讃岐」という異名で呼ばれることがあります。

夫である藤原重頼は、鎌倉幕府初代征夷大将軍である源頼朝の側近の一人となっています。

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