世の中は(鎌倉右大臣)

短歌 に関する記事

世の中は 常にもがもな なぎさ漕ぐ
あまのをぶねの 綱手かなしも 鎌倉右大臣

■ 訳

世の中が永遠に変わらないものであって欲しいね。
渚を漕ぐ漁師の舟が舳先の綱で引かれている姿は感慨深いなぁ。

■ 解説

「世の中」は当時の世の中を、「常もがもな」は「常」が永遠を意味し、「もがもな」が難しいけれどを意味しています。
「あま」は漁師を、「をぶね」は小舟、「綱手」は船の穂先に立てた棒に結びつけるための綱のこと(川などを逆流する際に引っ張って使用)を、「かなしも」は感動、心を動かされる様子、といった意味になります。
なお、この詩は古今和歌集 東歌 1088首目の「みちのくは いづくはあれど しほがまの 浦こぐ舟の つなでかなしも」を本歌取りした詩です。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は新勅撰和歌集 第八巻(羇旅歌 525首目)、小倉百人一首の第九十三首目に収録されています。
「題志らず」と書かれているため詳細は不明ですが、幼少より鎌倉の沿岸で生活を営んでおり、争いを好まなかった実朝の一面が見られるようです。

■ 豆知識

作者は源実朝(みなもとのさねとも)で、鎌倉幕府の第三代征夷大将軍です。

鎌倉幕府の三代将軍に当たりますが、実権は既に北条氏が握っていました。
兄である源頼家源頼朝の急死によって急遽二代将軍とされたのですが、(北条氏から)暗愚とされ、修禅寺に押し込められた挙句、北条氏の手兵により入浴中に殺害されました。
これにより実朝は12歳で元服し、将軍になりましたが、頼家を追放した有力御家人たちによる十三人の合議制により、将軍としての実権は殆どありませんでした。

武士としては心優しすぎる人物であったようで、侍所の建物内で刃傷事件が起こった際は、流血や死に伴う穢れから逃れようとして千葉成胤に武家の棟梁が血や死を穢れとする事を諌められたり、畠山重忠の息子である畠山重慶が北条時政の策謀によって乱を起こした際も、「重忠は罪無く誅をこうむった。その末子が隠謀を企んで何の不思議が有ろうか。命じた通りにまずその身を生け捕り参れば、ここで沙汰を定めるのに、命を奪ってしまった。粗忽の儀が罪である」と、首謀者である畠山重忠を擁護する発言をしています。

実朝は、頼家の次男である公暁に、「親の敵はかく討つ」と襲われ、殺害されます。
享年28歳(満26歳没)でした。
公暁はその日のうちに討たれましたが、実朝には子が居なかったこともあり、源家は三代で潰えました。
これにより北条家が鎌倉幕府の実権を完全に握り、148年間続く鎌倉幕府を支配し続けることとなります。

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