春のやよいの(慈円)

今様 に関する記事

春のやよいの あけぼのに 四方の山べを 見わたせば
花盛りかも しら雲の かからぬ峰こそ なかりけれ

花たちばなも 匂うなり 軒のあやめも 薫るなり
夕暮さまの さみだれに 山ほととぎす 名乗るなり

秋の初めに なりぬれば ことしも半ばは 過ぎにけり
わがよ更けゆく 月影の かたぶく見るこそ あわれなれ

冬の夜寒の 朝ぼらけ ちぎりし山路は 雪ふかし
心のあとは つかねども 思いやるこそ あわれなれ

長生殿の うちにこそ ちとせの春あき とゝめたれ
ふろうもんおし たてつれば としはゆけとも おひもせず 慈円

■ 訳

春、三月の夜明け前に、周りの山々を見渡せば、桜は満開で雲のかからない峰もない。
(夏、)橘(こうじみかん)の白い花の匂い、軒に咲く菖蒲も香る。夕暮れ時の五月雨が降る中、山ではホトトギスが名乗るように鳴いている。
秋、始まりの頃になれば、今年も半分過ぎたと感じる。自分の人生も月の光が西に沈む姿に照らし合わせてしまってむなしく思う。
冬、一層寒くなった明け方、細かく途切れた山道は雪が深く積もっている。心に足跡は残らないけど、気配りこそが人情ってものだ。
長生殿の中は悠久の春と秋が続いている。不老門を押し開けたなら、年を重ねても老いはしない。

■ 解説

「あけぼの」はまだ日も出ていない明け方、「花盛り」は(桜が)満開である様子、「花たちばな」は現在のコウジミカンの花のことで、夏に香り高い白い花をつけることから夏の季語(ちなみに実は秋の季語です)、「夕暮さま」は夕暮れ時、「さみだれ」は五月雨、つまり梅雨、「わがよ」は自分の人生、「夜寒」は秋も終わりが近づき夜が一層寒くなった様子、「朝ぼらけ」は夜が白んで朝になりかけている状態(明け方)、「ちぎりし」は細かくとぎれとぎれになった様子、「心のあと」は心に残る(痕跡)、「思いやる」は気に掛ける(気を配る)、「あわれ」は人情、情け、愛情など、「長生殿」は唐代の離宮の一つで玄宗皇帝が楊貴妃と共に出かけたとの話が残っている場所、「ふろうもん」は不老門と書き、長命を祝う際に使われ、一般には漢代の洛陽城門(門をくぐると年がゆっくり進む(つまり老いない)と言われています)、といった意味になります。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は雅楽の演目である越天楽に歌詞をつけたもので、「越天楽今様」と呼ばれています。
1〜4番目までは季節の様子を、最後だけ毛色が違いますが、和漢朗詠集から縁起が良いとされる「老いせぬ門(かど)」の話を取り入れたものと思われます。

■ 豆知識

作者は慈円(じえん)で、藤原忠通の子(十一男)です。
慈円の詠んだ短歌は小倉百人一首では95首目に選歌されています。

今様の形式は5,7,5,7,5,7,5,7で1コーラスを構成しており、上記の詩もそれに倣っています。
そもそも今様の意味は「現代風」であり、ブームであった平安時代末期の最新の和歌の形式でした。

後白河天皇は今様がとても好きで、後年に無くなってしまうことを惜しみ、梁塵秘抄という歌謡集を自ら選歌されまとめています。

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