大和には(舒明天皇)

長歌 に関する記事

大和には 群山あれど
とりよろふ 天の香具山
登り立ち 国見をすれば
国原は 煙立ち立つ
海原は 鴎立ち立つ
うまし国ぞ 蜻蛉島
大和の国は 舒明天皇

■ 訳

大和には数多くの山があるけど、その中でも特に素晴らしい天の香久山。
そこに登って周りを見たならば、大地には霞が立ちのぼり、海原にはカモメが飛んでいる。
なんてすばらしい国なんだ、日本列島、大和の国は。

■ 解説

「大和」は当時の日本、「群山」はたくさんの山、「天の香具山」は歌枕で奈良県橿原市にある山、「煙」は霞、「鴎」はカモメ、「うまし」は素晴らしい、「蜻蛉島(あきづしま)」は秋津島とも書き、日本列島の事、といった意味になります。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は万葉集 第一巻(雜歌 第2首目)に収録されています。
題に「高市岡本宮御宇天皇代 [息長足日廣額天皇] / 天皇登香具山望國之時御製歌」、とあることから舒明天皇が天の香久山に登られた際に詠まれた詩のようです。

■ 豆知識

作者は舒明天皇(じょめいてんのう)で、第34代天皇です。

先代である推古天皇が次代天皇を指名しなかったため、次代天皇として聖徳太子の子である山背大兄皇子と田村皇子(舒明天皇)の二人が擁立されましたが、蘇我蝦夷・蘇我入鹿親子が推古天皇の遺言を強引に解釈して田村皇子を推したことで天皇となります。
このことで、政治の実権は蘇我蝦夷・入鹿がほぼ手中に収めていました。
舒明天皇が亡くなると、その妻である宝皇女が皇極天皇となりますが、この人事についても蘇我氏が関与しており、一豪族に過ぎない蘇我氏のみで次代天皇を決めるという行為に対して、不満の声が上がるようになります。
このことが後に乙巳の変(いっしのへん)、大化の改新へとつながることになります。

舒明天皇の時代に、初めて遣唐使が送られており、外交に力を入れていたことが伺えます。

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