■ 解説
現代語なので敢えて解説する必要もないのですが、教育とは相手を思いやることであることを示しています。
■ この詩が詠まれた背景
この詩は第二次大戦中に海軍大将であった山本五十六の残した格言です。
山本五十六は米国に留学、駐在していた経験から、米国との国力差を痛感していたため、米国との開戦や三国同盟への参加には当初から反対していましたが、渦中に巻き込まれることとなりました。
五十六は部下を思いやる上司でしたが、部下に功績を上げさせたいがゆえに部下に自由を与えすぎ、失敗してしまった作戦もあり、司令官としての能力は疑問視もされています。
■ 豆知識
真珠湾攻撃を行ったことで知られていますが、五十六は当初こそ大国である米国に対して戦果を上げられたことを喜んでいましたが、後に結果的に宣戦布告なしの状態で攻撃してしまったこと知り、そのことをずっと悔やんでいました。
もともと早期に米国の戦意を挫き、少しでも有利な条件で講和することを目的としていた五十六の目論見は、不意打ちしたという形で米国民の怒りを買ってしまったため、最初の時点で頓挫してしまったことになります。
1941年11月27日に日米開戦の原因となったハル・ノートが手交されており、同年12月1日に日本側は対米開戦を決意、12月6日にルーズベルト大統領から関係改善を目指す電報が昭和天皇宛に送られていましたが、日本側は同日、すでに対米開戦を決定していました(対米覚書)。
そして12月7日(日本時間では12月8日)に真珠湾攻撃が行われます。
対米覚書はワシントンにある大使館に送られていましたが、気づくのが遅れたことや作業に手間取ったことから、実際に米国のコーデル・ハル国務長官に渡されたのは真珠湾攻撃の1時間後の事でした。
■ 関連地図
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