■ 解説
「筑摩江」は琵琶湖にある入江で歌枕、「芦間」は葦の間、「ともに消えゆく」は篝火、自分の人生、(および、豊臣政権をそれぞれ意味しているとされています)、といった意味になります。
■ この詩が詠まれた背景
この詩は石田三成の辞世の句です。
関ヶ原の戦いで敗走した三成は出身地である近江国に逃れますが、その際に詠んだものと思われます。
■ 豆知識
石田三成は生真面目でしたが頭が固く、自らの意見を押し通すため虚偽の発言をして同僚を陥れるなど、人から好かれる性格ではありませんでした。
他の武将とのコネも殆どなく、一番の友人であった大谷吉継からもその人徳のなさを指摘をされていましたが、その性格が遠因となって豊臣家を結果的に二つに分けてしまい、関ヶ原の戦いにおいて徳川家に天下を取られる結果となりました。
■ 関連地図
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