やすみしし(中皇命)

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やすみしし 我が大君の
朝には 取り撫でたまひ
夕には い寄り立たしし
み執らしの 梓の弓の
なか弭の 音すなり
朝猟に 今立たすらし
夕猟に 今立たすらし
み執らしの 梓の弓の
なか弭の 音すなり 中皇命

■ 訳

すみずみまでお治めになっている我が天皇。
明け方には取り出して撫で、日暮時には寄り立てて(大事になされて)いる、お使いの梓弓(の弓弭の中央)から音が(ここまで)聞こえます。
明け方、たった今狩りにお立ちになられたようです。
日暮時、たった今狩りにお立ちになられたようです。
(猟場から)お使いの梓弓(の弓弭の中央)から音が(ここまで)聞こえます。

■ 解説

「やすみしし」は国のすみずみまで治められている(わが大君に掛る枕詞)、「朝(あした)」は朝、明け方、「夕(ゆふへ)」は夕方、日暮れどき、「み執らし」はお使いになる、「梓の弓」は梓弓(神事などでも使われる弓で的を射抜くだけでなく、弦をはじいて楽器としても使われます)、「なか弭」は中弭(長弭、鳴弭(なりはず:高く鳴る弓の事)という説あり)で弓の両端を弓弭といいその中央、あるいは(長弭とする場合)長い弓弭、つまり大きな梓弓、といった意味になります。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は万葉集 第一巻(雜歌 第3首目)に収録されています。
題に「天皇遊猟内野之時中皇命使間人連老獻歌」とあることから、舒明天皇が宇智の野(現在の奈良県御所市)へ遊猟に出られる際に、中皇命(なかすめらのみこと)が詠んだこの詩を官吏であった間人老(はしひとの おゆ)を遣いに出して届けさせたようです。
古来より日本には言霊信仰があることから、この詩は狩猟に出た舒明天皇を祈願する詩であるそうです。

■ 豆知識

作者は中皇命(なかすめらのみこと)で、普通名詞として中継ぎの女帝を示すことから女性です。
詳細はよく分かっていませんが、時代的にもおそらく間人皇女(はしひとのひめみこ)の事であろうとされています。
万葉集4首目にはこの詩の反歌(補足)が詠まれています。

「朝には」の部分は万葉仮名で朝庭と書かれていることから、朝廷(帝)とそのお妃について詠まれた詩ではないかという考察もあります。

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