■ 解説
「われ獨(ひとり)」は私一人、「いそぐ」は支度する、「思ひ」は意向、願い、「東路(あづまぢ)」は東国(陸奥)、あるいは東国への道、「さきだち」は先に行う(ここでは先んじて花の咲いている様子)をそれぞれ意味します。
■ この詩が詠まれた背景
この詩は金葉和歌集 第六巻(別離歌)に収録されています。
題に「みちのくにへまかりけるにあふさかの關よりみやこへつかはしける」(陸奥国へ出向する際に逢坂の関から都へ送った)とあり、陸奥国司として任地に赴く際に詠んだ詩です。
■ 豆知識
作者は橘則光で、清少納言が最初に結婚した夫として知られています。
宇治拾遺物語や今昔物語では、襲い掛かってきた盗賊をただ一人で返り討ちにした武勇伝が残っていますが、枕草子には和歌嫌いで風流が理解できない人物として記されています。
時の上司である藤原斉信に「いもうと(隠棲していた清少納言のこと:則光をせうと(兄)、清少納言をいもうと(妹)と呼び、一条天皇にまでこの呼び名が知られていたようです)の居場所を教えろよー。」とゴリ押しされた際、清少納言から「絶対に教えちゃダメよ」と念を押されていました。
ある時、則光から「どうしても隠し通すことが無理そう、教えちゃダメ?」と遣いの手紙がよこされたのですが、その際に清少納言はワカメの切れ端を送り返します。
則光はその意図が理解できなかったためダメだったと思い、一晩中斉信を連れまわして何とか隠し通すことに成功しますが、なぜワカメなんて送ってきたのかを聞くために清少納言に会いに行きます。
ですが、清少納言からの返答は和歌であったため「和歌詠んだの?絶対に見ないよ!」と逃げ帰ってしまいました。
ちなみに、詩の内容は「かづきする あまの住家を そことだに ゆめ言ふなとや めをくはせけむ」(海の底まで潜って漁を行っている海女のように身を隠している私なんだから、「そこ」だって言ったり、目配せしちゃだめよ(「めをくはせ」は「布(つまりワカメ)を食わせ」と掛けています))という内容(つまり教えちゃダメ)でした。
この詩は後拾遺和歌集 第十九巻(雜五)にも入集しています。
ちなみになぜワカメだったのかですが、これは以前則光が隠し事をする際に、ワカメを食べてごまかした話を清少納言に伝えていたためです。
その事を知っている清少納言は今回もよろしく!という意味合いで送ったようですが、当の本人はそのことをすっかり忘れてしまっていたようです。
和歌は本当に嫌いだったようで、枕草子には「おのれをおぼさむ人は、歌をなむ詠みて得さすまじき。すべて、仇敵となむ思ふ。今は限りありて絶えむと思はむ時にを、さる事は言へ」(私を想ってくれるのであれば、和歌は詠まないでください。(送られてきた和歌は)すべて敵とみなします。今日限りで絶交したいと思う時には(和歌を)お送りください。)と言っていたことが書かれています。
夫婦仲が冷めてしまった際に、則光から送られてきた手紙に、和歌を送り返したところ、本当に返事一つ返してくれなくなったようです。
則光がこの詩を詠んだ陸奥守(従五位上相当)になった頃は、清少納言と別れた後ですので、猛勉強したのかもしれません。
清少納言との間の息子である、橘則長は能因法師の姉妹と結婚しており、枕草子の写本である能因本はここから伝えられています。
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