霞立つ(軍王)

長歌 に関する記事

霞立つ 長き春日の 暮れにける
わづきも知らず むらきもの 心を痛み
ぬえこ鳥 うら泣け居れば
玉たすき 懸けのよろしく 遠つ神
我が大君の 行幸の
山越す風の ひとり居る
我が衣手に 朝夕に 返らひぬれば
大夫と 思へる我れも 草枕
旅にしあれば 思ひ遣る
たづきを知らに 網の浦の 海人娘子らが
焼く塩の 思ひぞ焼くる 我が下心 軍王

■ 訳

霞の昇る長い春の日もいよいよ暮れてしまった。
トラツグミの(物悲しく)鳴く声を聴けば、分けることのできない、この(寂しい)気持ちに心が痛んでしまう。
襷を掛けるように(国家安寧の願いを)祖先の神への願掛けを目的とした此度の舒明天皇の行幸。
その行幸地で、山を越えて吹く風を受けるのは、(恋人を残してきた私)一人。
私の着物の袖には朝、夕(風が)当たり、立派な男だと思っていた私も旅の途中であれば、旅先の宿から(恋人を)思いやる以外の方法を思いつかない。
網能浦で藻塩を焼く海女達のように、私の(恋人を)想う心も焼けるようだ。

■ 解説

はじめに書いておきますが、「わづきも」の意味は分かりません。
万葉仮名で「わづきも」の部分は「和豆肝」と書かれてあるのですが、このままでは意味がしっくりと通らないため、誤字(「わ」ではなく「た」)だったのではないかという説もあります。
「わづきも知らず」を「わづき」と「も、知らず」に分けで、「区別する」、「〜を知らない」、つまり「(群肝を)分かつことができない」と訳すのが一般的なようですので、上の訳ではそれを採用しています。

その他について、「むらきも(群肝)」は五臓六腑(心に掛る枕詞)、「ぬえこ鳥」はトラツグミ(鵺のように鳴くことから)、「玉たすき」は襷の美称、「懸け」は襷を掛ける様子と願懸けを掛けた言葉、「遠つ神」は(天皇の)祖先である神(大君に掛る枕詞)、「行幸」は天皇が外出すること(万葉仮名では「行幸能」と書かれており、「みゆき(ぎょうこう)の」ではなく「みゆきよし」と読む可能性があります)、「返らひぬれば」は返ってきたならば(風の吹く様子と恋人を残してきた自分を重ねた表現)、「大夫(ますらお)」は立派な成人男性、「草枕」は旅先で宿を取ること(旅に掛る枕詞)、「思ひ遣る たづきを知らに」は思いやる方法を知らない(「たづき」は手段を意味します)、「網の浦(網能浦)」は現在の香川県坂出市の浜(地名:詳しい場所は不明)、「焼く塩」は塩をつけた海藻を焼く様子(藻塩といい、海水を海藻に浸し焼いて塩を生成しており、和歌では恋焦がれる様子も指します)、「思ひぞ焼くる」は藻塩を焼く様子と故郷に残した恋人への想い、「下心」は本心、をそれぞれ意味しています。

残してきた人が恋人である理由は6首目の反歌に書かれてます。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は万葉集 第一巻(5首目)に収録されています。
題に「幸讃岐國安益郡之時軍王見山作歌」(讃岐の国の安益郡(現在の香川県坂出市辺り)に舒明天皇が行幸に出られた際に軍王が詠んだ)と書かれてあり、恐らく舒明天皇11年(639年)12月に伊予温泉に行幸された際のものと思われます。

■ 豆知識

作者は軍王(いくさのおおきみ(「こにきしのおおきみ」とも読みます))です。
百済国最後の王子で、後に帰国したが唐で捕まり流刑にされてしまった扶余豊璋だとする説があります。

6首目にはこの詩の反歌が載せられています。

「わづきも(和豆肝)知らず」の部分ですが、「肝(心)」をそのまま生かし、「和」の部分を発音としての「わ」でなく、単語としての「和」(のどか、にぎやか、なぎ、なごやか)といった意味で読んだ場合、意味を通せそうな気がします。
例えば「のどかの心知らず」として読むなら、日が暮れた後の暗闇の恐怖を想像できそうです。

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