秋の野の(額田王)

短歌 に関する記事

秋の野の み草刈り葺き 宿れりし
宇治の宮処の 仮廬し思ほゆ 額田王

■ 訳

秋の野原に生える草(ススキ等)を刈ってそれを屋根に敷いて泊まった宇治の仮宿が懐かしく思えます。

■ 解説

「み草刈り葺き」は「み」が美称、「草」はススキ、茅(ちがや)といった植物(茅)、「宿れりし」は宿泊した、「宇治」は現在の京都府宇治市、「宮処(みやこ)」は天皇の居られる場所、「仮廬(かりいほ)」は仮設の小屋(庵)、をそれぞれ差します。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は万葉集 第一巻 (雑歌 7首目)に選歌されています。
題に「明日香川原宮御宇天皇代 天豊財重日足姫天皇」(飛鳥川原宮で治世を行われている天皇の時代 斉明天皇)とあります。

■ 豆知識

作者は額田王(ぬかたのおおきみ)で天武天皇の采女(うねめ:地方豪族から天皇家に献上された女官のこと)、飛鳥時代を代表する女流歌人です。
天武天皇の子、十市皇女(とおちのひめみこ)を産んでおり、後に天智天皇にも寵愛されたと言われています。
二人の天皇から求愛されたとする説や、采女が全国から集められた容姿端麗で高い教養をもった美女であるという話から、絶世の美女であったのではないかとも言われています。

同じく飛鳥時代の女流歌人、鏡王女(かがみのおおきみ:鏡女王、鏡姫王と出典により表記がぶれています。)は額田王の姉妹であったのではないかという本居宣長による説があります。
ちなみに、鏡王女は天智天皇の妃で、後に藤原鎌足の正妻となっています。

額田王が活躍した斉明天皇の時代ですが、斉明天皇は史上二人目の女性の天皇で、天皇として初めて重祚(退位した天皇が再度即位すること)して即位しており、治める期間で名前が異なります。
1回目(49歳で即位)は皇極天皇(第35代)、2回目(62歳で即位)が斉明天皇(第37代)です。
斉明天皇となった頃は、実権は皇太子である中大兄皇子(後の天智天皇(第38代))が執っていました。

■ 関連地図

コメント

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。


コメントを書く

お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: