莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣(額田王)

短歌 に関する記事

莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣 我が背子が
い立たせりけむ 厳橿が本 額田王

■ 訳

(莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣:分かりません。現在も万葉集訓読における最初の壁として君臨しています。)荘厳な樫の木の元には、貴方が立っていたことでしょう。

■ 解説

はじめに、「莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣」の部分は意味だけでなく読み方すらまるで分っていません。
区切り位置もどこが適切なのか、正確にはわかっていません。(12文字なので、5+7文字で適当に区切ることもできますが。)
多くの学者がこの謎の解明に挑戦してきましたが、現在に至るまで確実な回答がないのが現状です。

「背子(せこ)」は兄、弟、夫、恋人(いずれも女性視点)、「い立たせりけむ」は「い」が強調、「立たせり」が立たせた(「せり」は助動詞)、「けむ」は〜だろう(過去の推量)、「厳橿(いつかし)」は荘厳な樫の木(畝傍橿原宮で即位した神武天皇を指しているのかもしれません)、「本」は木の根元、をそれぞれ意味します。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は万葉集 第一巻 (雑歌 9首目)に選歌されています。
題に「幸于紀温泉之時額田王作歌」((斉明天皇が)紀の温泉(現在の和歌山県白浜町:湯崎温泉)へ行幸した際に額田王が作った歌)とあります。
そもそもこの御幸は斉明天皇の弟、孝徳天皇の皇太子である有間皇子が療養地であった牟婁の湯(南紀白浜温泉)の素晴らしさを斉明天皇に伝えたことで行われたものです。
有間皇子については万葉集に和歌が残されていますのでそのうち説明しますが、謀反の罪に問われ、行幸先であるこの紀の温泉まで連行され、絞首刑に処せられています。

■ 豆知識

作者は額田王(ぬかたのおおきみ)です。
この詩は斉明天皇に仮託して読んだものされています。

「莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣」の部分ですが、最近、「莫囂圓隣之」の部分の「莫囂」を「やかましい+反語」から止む、「圓」をまと、とすることで「大和隣の」と読んで「紀国」と読ませ、「大相七兄爪謁氣」を「負ふ名に爪付け」と読んで「木」(紀国)+「一」(爪)→本とする説が出ています。
但し、「本」という文字の成り立ち(最古の写本では「夲(こちらも「もと」と読みます)」)などの理由から、否定されています。
(万葉集には八十一と書いて「くく」と読むような言葉遊びも入っているため、個人的にはアリかなとも思いましたが。)

私がざっくり調べた結果では、万葉集内(西本願寺本)において
「莫」:「な」、「はく」、「まく」(「言莫」と書いて”言わない”など、否定する意味での使用例が散見されます)
「囂」:万葉集の中ではここでしか使われていないため不明ですが、一般には「かま」、「ごう」(やかましい様子)
「圓」:「まと」、「まど」、「ろ」(名詞に使用されるケースが多い)
「隣」:「となり」、「り」
「之」:「の」、「し」(格助詞?副助詞?)
「大」:「おほ」、「おふ」(大きいものや目上の者)
「相」:「あひ」、「あふ」、「あへ」(出会う様子)
「七」:「なぬ」、「なな」、「な」、「ななつ」(「な」の音、数字の7)
「兄」:「え」、「せと」、「せ」(兄(もしくは弟)。兄子と書き「せこ」と呼ぶケースも多い)
「爪」:「つま」(つまびく、躓くなど、動詞に使われるケースが多い)
「謁」:万葉集の中ではここでしか使われていないため不明ですが、一般には「えつ」 (目上の人に出会う様子:拝謁するなど)
「氣」:「け(げ)」、「いき」、「(け)ぶり」(火氣: けぶり:煙)(匂いや霧のような実体のないものを指すケースが多い)
といった使われ方がされているようです。

万葉仮名では12文字(5+7)なのに、仮名読みでは1文字で2音以上発する文字が多く、ぱっと見でも単純な訓読はできそうもありません。
漢字は元々1文字1音節ですので、バラバラの単語を12文字で読みきるには、中国語のように1文字1音で読むか、熟字訓の可能性を探す必要がありそうです。
つまり、この和歌に書かれたままの状態で意味を求めるのであれば、何らかの工夫が必要不可欠ということになります。

「厳橿が本」が奈良県の畝傍橿原宮を指すのであれば、その場に立っていた(過去形)のは誰なのかがカギになりそうです。
ご先祖である神武天皇なのか、この頃すでに亡くなっていた夫の舒明天皇なのか、それともまるで関係なく温泉で良い湯を楽しんで技巧を凝らした詩を詠んだだけなのか、読む人によって回答は異なるかと思います。

■ 関連地図

コメント

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。


コメントを書く

お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: