脱ぎかへて(前中納言定家)

短歌 に関する記事

脱ぎかへて かたみとまらぬ 夏衣
さてしも花の 面影ぞ立つ 前中納言定家

■ 訳

衣替えして春の香り一つしない夏服に着替えたけれど、それでも桜の情景が目に浮かぶよ。

■ 解説

「脱ぎかへて」は着替えて、「かたみ(形見)」は思い出の品や手がかり、「とまらぬ」は残らない、「夏衣(なつごろも)」は夏服(たつ、きる、薄し、ひとえなどに掛る枕詞)、「さてしも」はそれにしても、「花」は桜、「立つ」は(位置などを)占める、をそれぞれ意味します。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は新後拾遺和歌集 (第三巻 夏歌)に収録されています。
「正治二年百首の歌奉りける時」(1200年に百首歌を奉った時(正治初度百首))とあり、旧暦11月22日(12月29日)に中島宮で詠まれた詩です。

■ 豆知識

作者は藤原定家(ふじわらのさだいえ)で小倉百人一首の撰者として広く知られています。
小倉百人一首だけでなく、定家仮名遣を規定したり伊勢物語や源氏物語、古今和歌集など、多くの古典の写本を書き残しました。
定家が多くの古典を残してくれなければ、現在読むことのできる古典の多くは遥か昔に散逸してしまっていたかもしれません。

正岡子規は定家について、「定家といふ人は上手か下手か訳の分らぬ人にて、新古今の撰定を見れば少しは訳の分つてゐるのかと思へば、自分の歌にはろくな者無之「駒とめて袖うちはらふ」「見わたせば花も紅葉も」抔が人にもてはやさるる位の者に有之候。定家を狩野派の画師に比すれば探幽と善く相似たるかと存候。定家に傑作なく探幽にも傑作なし。しかし定家も探幽も相当に練磨の力はありて如何なる場合にもかなりにやりこなし申候。両人の名誉は相如くほどの位置にをりて、定家以後歌の門閥を生じ、探幽以後画の門閥を生じ、両家とも門閥を生じたる後は歌も画も全く腐敗致候。いつの代如何なる技芸にても歌の格、画の格などといふやうな格がきまつたら最早進歩致す間敷候。」と書いており、簡単にまとめれば「うまいのか下手なのかよくわからん。狩野探幽に似て磨き上げられた力はあるが、派閥ができて同様に腐ってしまった。」とのことです。
定家の作る和歌には独特の世界観があり、何気ない出来事でも視野を広げ、視点を変えて表現することに長けているため、正岡子規の現実主義的技法(写生)とは合わなかったのかもしれません。

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