この世をば(藤原道長)

短歌 に関する記事

この世をば わが世とぞ思ふ 望月の
欠けたることも なしと思へば 藤原道長

■ 訳

この世界は(まるで)私のためのものであるように思う。
満月に欠ける部分がないように、私は完全に満ち足りているから。

■ 解説

「この世」は世界、「わが世」は私の人生、「望月」は満月、「欠けたる」は欠けている、不足している、「思へば」は思うから、をそれぞれ意味します。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は藤原実資が記した日記「小右記」に収録されています。
小右記によれば、寛仁二年(1018年)10月16日、藤原威子が皇后になった日の出来事で、通常礼儀として返歌を詠むべきところ、「御歌優美なり。酬くひ答えるに方なし」として実資は詠まず、実資の提案で白居易の故事を例に、唱和したとあります。
ちなみに、小右記に「一家三后を立つるは、未曾なり。」と書かれており、これが「欠けたることも なし」になったことに相当します。

■ 豆知識

作者は藤原道長(ふじはらのみちなが)です。
道長は甘いもの好きであったらしく、晩年は糖尿病に罹り、それが遠因と思われる症状で62歳で亡くなっています。

小右記を記した藤原実資は道長にあまり良い印象を持っていなかったらしく、小右記の中で度々道長を批判しています。
後年においても、あまり良い印象を持てないこの詩が残った理由もそれが原因だと思われます。

この詩や政治的な手腕からあまり良い印象を持たれていませんが、女流文学を庇護することに努めており、国風文化の発展に一役買っています。

道長が自身について記した御堂関白記は自筆の原本が現存しており、国宝やユネスコ記憶遺産に指定、登録されています。
誤字や当て字が多く難解ですが、当時の貴族の生活が分かる大変重要な資料です。

後年書かれたものですが、一条天皇の遺書に、「叢蘭欲茂 秋風吹破、王事欲寄 讒臣乱国」(蘭の群生を秋風が枯らしてしまう。(大した力も持たないものが立派なものの邪魔をする。)王が正しい政を欲しているのに、讒臣が国を乱してしまう)とあり、それを見た道長は怒って破り捨てたという逸話が伝わっています。

コメント

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から衣
裾に取り付き
泣く子らを
置きてぞ来ぬや
母なしにして
Posted by at 2019年12月13日 21:52
万葉集に載っている防人歌ですね。
から衣(唐衣/韓衣)は袖にかかる枕詞で、妻を亡くした父親が袖に泣きすがる我が子を故郷に置いたまま、無事帰れる保証のない防人の任に着かなければならない様子を詠んだ詩で、学校の教科書にもよく載っている有名な詩です。

ちなみに防人達の使う武器は自腹、食料は自給自足で、任期の間は無給で奉仕しなければならず、残された家族に課せられた任期中の税も軽減されなかったようです。
また任地までは道案内がつくのですが、任期終了後の帰りは一人きりで野垂れ死にするケースも多々あり、任期は三年と言いつつも、伸び切ったゴムのように簡単に伸びることもあって士気も低かったと思われます。

万葉集には数多くの防人歌が載せられていますが、編者は防人達のあまりの境遇の酷さに同情して載せたのかもしれませんね。
Posted by waka at 2019年12月13日 22:44

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