■ 解説
大変有名な句なので特に説明はありません。
季語は「柿」で秋の句です。
■ この詩が詠まれた背景
この詩は正岡子規が奈良に旅行に行った際に詠んだ俳句です。
正岡子規は夏目漱石と親友で家族ぐるみで付き合いがあったことが知られており、奈良旅行の費用も漱石に負担してもらっていたようです。
この俳句は様々な形で支援してくれた漱石が明治28年9月6日に海南新聞(現在の愛媛新聞)に掲載した「鐘つけば 銀杏ちるなり 建長寺」への返句とされています。(同紙に明治28年11月8日付で掲載されています。)
■ 豆知識
作者は正岡子規で、近代文学において多大な影響を与えた人物です。
和歌だけでなく漢詩や小説なども書いており、文学において八面六臂の活躍をしましたが、結核によりわずか34歳で亡くなっています。
正岡子規は近代短歌において多大な影響を与えた「歌よみに与ふる書」の作者として知られています。
勅撰和歌集を否定し万葉集を絶賛するものであったため、賛否両論様々な意見が出ることになりました。
ちなみに、これを発表した正岡子規は当時30歳でした。
■ 関連地図
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