五月雨は(足利義輝)

辞世の句 に関する記事

五月雨は 露か涙か 不如帰
我が名をあげよ 雲の上まで 足利義輝

■ 訳

この五月雨は露だろうか、それとも私の涙だろうか。
ホトトギスよ、この厚い雲の越えて、私の名を天まで伝えよ。

■ 解説

「五月雨」は梅雨、「不如帰(ホトトギス)」はホトトギス(カッコウ目・カッコウ科の鳥類)、をそれぞれ意味します。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は足利義輝の辞世の句です。
三好義継、三好三人衆、松永久通らの謀反によって、永禄8年5月19日(1565年6月18日)に京都二条御所を襲撃されます(永禄の変)。
義輝の最期はよくわかっておらず、フロイス日本史によれば、足利義輝は多くの手勢を倒して奮戦するも、地に伏したところを殺された、とあり、常山紀談では手勢を防ぎ戦ったものの最期には自害した、とされています。

■ 豆知識

作者は足利義輝で、室町幕府第13代征夷大将軍です。
一部の資料において塚原卜伝や上泉信綱から教えを受けたと書かれていることや、フロイス日本史に書かれた最期の様子から、現在では剣豪将軍として知られています。

この事件のすぐ後、三好三人衆と松永久秀は対立し、東大寺大仏殿で戦闘になり、火事を起こして大仏殿を焼失します。
大仏殿は資金不足等の理由もあり、江戸時代に入るまで修復されることはありませんでした。

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