川の上の(吹芡刀自)

短歌 に関する記事

川の上の ゆつ岩群に 草生さず
常にもがもな 常処女にて 吹芡刀自

■ 訳

川からせり出ている神聖な岩に草や苔が生えないように、(十市皇女が)永遠に老いることない清純な少女であり続けることを願います。

■ 解説

「ゆつ」は神聖な、清浄な、「岩群(いはむら)」は岩の群れ、「草生さず(くさむさず)」は草が生えていない、「もがもな」は〜だといいなあ(詠嘆)、「常処女(とこをとめ)」は永遠に老いることのない清純な少女、をそれぞれ意味します。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は万葉集 第一巻(雜歌 22首目)に収録されています。
題詞に「明日香清御原宮天皇代 天渟中原瀛真人天皇謚曰天武天皇 十市皇女参赴於伊勢神宮時見波多横山巌吹芡刀自作歌」(飛鳥浄御原宮を治められていた天皇代 天武天皇 / 十市皇女が伊勢神宮に参拝された時、波多の横山にある大きな石を見て吹芡刀自が作った歌)とあります。
注釈に「吹芡刀自未詳也 但紀曰 天皇四年乙亥春二月乙亥朔丁亥十市皇女阿閇皇女参赴於伊勢神宮」(吹芡刀自についてはよくわからない。ただし、紀(天武紀:日本書紀29巻)には、天武天皇4年2月13日(675年3月14日)、十市皇女、阿閇皇女(後の元明天皇)が伊勢神宮に参詣した。)とあります。

■ 豆知識

作者は吹芡刀自(ふふきのとじ)(別の出典では吹黄刀自(ふきのとじ)とも書かれます)です。
十市皇女の侍女であったのではないかとされていますが、詳細は一切不明です。

この詩は十市皇女を指して詠んだ詩ですが、十市皇女は、父に天武天皇、母に額田王、夫に大友皇子と、複雑な家庭に生まれました。
父と夫は壬申の乱で後に争い合い、父の勝利で幕を閉じましたが、十市皇女もその6年後、30歳前後で突然亡くなっています。
亡くなった理由は定かではありません。

■ 関連地図

コメント

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。


コメントを書く

お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: