■ 解説
「卯の花」はウツギの花、「かざし」は髪飾り、「関」は関所(白川の関)、「晴着」は礼服、よそ行きの衣装、をそれぞれ意味します。
季語は「卯の花」で夏です。
■ この詩が詠まれた背景
この句はおくのほそ道、「白川の関」の中で芭蕉の弟子の曾良が詠んだ俳句です。
前回の旅の続きで、白川の関(現在の福島県白河市にある白河神社境内に関所跡があります)での出来事です。
おくのほそ道には、
「心許なき日かず重るまゝに、白川の関にかゝりて旅心定りぬ。いかで都へと便求しも断也。中にも此関は三関の一にして、風騒の人心をとゞむ。秋風を耳に残し、 紅葉を俤にして、青葉の梢猶あはれ也。卯の花の白妙に茨の花の咲そひて、雪にもこゆる心地ぞする。古人冠を正し、衣装を改し事など、清輔の筆にもとゞめ置れしとぞ。」
((那須で)ぼんやりと日を重ねていたが、白川の関を見て旅に出たいと思う気持ちを抑えられなくなった。(先人達の)都に関所の先の様子を知らせたい気持ちもよくわかる。特にこの白川の関は奥州にある関所の中でも三関の一つとして、風雅の人が特に心を寄せる場所だ。秋風を耳にしたり、秋の紅葉を思い浮かべ、青葉の梢にしみじみとする。真っ白なウツギの花に白い茨の花が寄り添っていて、まるで雪の中(関所を)超える心地がする。昔の人は冠を正し、衣装を改めて(関所を超えた)ことなどは藤原清輔の残した書にもある話だ。)
とあります。
ちなみに、清輔の書とは袋草紙の事です。
文中の「秋風を耳に残し」から「雪にもこゆる心地ぞする。」までの言葉の多くは和歌を指しています。
■ 豆知識
作者は河合曾良です。
「白川の関」は芭蕉がいた時代には既に存在していません。
平安時代中期には既に機能しておらず、源頼朝が奥州を攻め入った頃には関守もいなかったようです。
寛政12年(1800年)に白河藩主であった松平定信が文献による考証を行い、現在の白河神社境内に白河関跡があることを確認しましたが、それまでどこにあるかもはっきりとわからなかったようです。
「白川の関」の章に載せられている句は曾良の詠んだものだけです。
次の章で芭蕉が白川の関を超える際に詠んだ句が載せられています。
■ 関連地図
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