世の人の(松尾芭蕉)

俳句 に関する記事

世の人の 見付ぬ花や 軒の栗 松尾芭蕉

■ 訳

世間の人は見向きもされないけれど、軒に咲く栗の花には趣があるものだ。

■ 解説

「世の人」は世間一般の人、「見付ぬ」は見いだせない、をそれぞれ意味します。
季語は「栗の花」で夏です。

■ この詩が詠まれた背景

この句はおくのほそ道、「須賀川」の中で芭蕉が詠んだ俳句です。
前回の旅の続きで、須賀川の宿場で滞在していた頃の出来事です。
おくのほそ道には、
「此宿の傍に、大なる栗の木陰をたのみて、世をいとふ僧有。橡ひろふ太山もかくやとしづかに覚られてものに書付侍る。其詞、
栗といふ文字は西の木と書て西方浄土に便ありと、行基菩薩の一生杖にも柱にも此木を用給ふとかや。
(本俳句)」
(この宿の傍らにある、巨木となった栗の木影で俗世を避けている僧が居られた。”橡ひろふ太山”(「山ふかみ 岩にしたゝる 水とめむ かつかつおつる とちひろふ程」)と西行法師が詠まれた高野山での生活もこのような感じだったのではと思い、その時思い立った言葉をメモしておいた。その内容は、
栗という字は西の木と書いて、西方浄土に関係があるものとして、行基和尚もその生涯において、杖にも柱にも栗の木を使ったという。
(本俳句))とあります。

■ 豆知識

作者は松尾芭蕉です。

”橡ひろふ太山”の詩ですが、山家集によれば大原に住み始めた寂然法師に西行法師が送った手紙に書かれた詩の事です。

行基菩薩とは奈良の大仏の制作を指揮したことで知られる、日本最初の大僧正です。
日本最古の地図である行基図を描いたともいわれていますが、原本が残っていないため、詳細は分かっていません。

■ 関連地図

コメント

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素晴らしいですねハート
Posted by ダークネス at 2020年10月30日 14:00
ダークネス様、初めまして。
お褒めの言葉を頂けて、本当に嬉しいです。

記事の中には、私の知識不足や調査不足、勘違いや思い込み、先入観等から内容が間違っていたり、いい加減に書き過ぎて表現がおかしくなっている部分があるかもしれません。

もしお気づきの点があれば、お気軽にコメント、ご指摘いただけると幸いです。
Posted by waka at 2020年10月30日 21:40
この詩の素晴らしいところはなんですか。教えてください。
Posted by ダークネス at 2020年11月10日 09:08
ダークネス様、コメントありがとうございます。
「この詩の素晴らしいところ」とのことですが、とても難しいご質問ですね。

私程度の意見で参考になるか分かりませんが、その土地に住む人々にとっては見慣れた日常の景色と芭蕉の持つ深い造詣から「特別」を掬い取って見事に表現した詩心にあると感じました。

「見付ぬ花や」と切れ字が置かれることで感動の中心は「花」になるのですが、それは普段生活する中では「世の人の 見付ぬ」存在です。
その後「軒の栗」と続くわけですが、栗の花は桜や梅のように華やかではありませんので、そこには栗の木のある軒の様子、人々の往来する周りの風景まで浮かび上がってきます。
勿論「見付ぬ花」には、目立たない花のように暮らす僧の姿も含まれているのかもしれません。


実はこの話には後日談があり、芭蕉の詠んだ句の影響で俗世を避けて暮らしていた僧である可伸(俳号は栗斎)は一躍時の人になってしまったようです。

後に等躬がまとめた俳諧集である「伊達衣」には、
「予が軒の栗は、更に行基のよすがにもあらず、唯実をとりて喰のみなりしを、いにし夏、芭蕉翁のみちのく行脚の折りから一句を残せしより、人々の愛でる事と成り侍りぬ」
(私の軒の栗は全くもって行基和尚所縁の物ではありません。ただ実をとって食べていただけなのに、去夏、芭蕉おじいさんが陸奥旅行の際に一句残されたことで、皆に慕われる栗の木になってしまいました。)

とあり、ちょっと困惑する事態になってしまったようですね。
Posted by waka at 2020年11月10日 22:41

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