■ 解説
「玉たすき」は畝傍に掛る枕詞(意味としてはたすきの美称)、「畝傍の山の 橿原」は畝傍橿原宮(神武天皇が即位された場所です)、「そらにみつ」は大和に掛る枕詞、「あをによし」は奈良に掛る枕詞、「天離る(あまさかる)」は鄙に掛る枕詞、「鄙(ひな)」は田舎、地方、「石走る(いしばしる)」は近江に掛る枕詞、「楽浪の(さざなみの)」は波は寄るところの、「大津の宮」は近江宮、「大宮(おほみや)」は皇居や神宮の尊敬語、「大殿(おほとの)」は当主、「霧れる(きれる)」はかすむ、「悲しも(かなしも)」は切ないなあ(”も”は詠嘆)、をそれぞれ意味します。
■ この詩が詠まれた背景
この詩は万葉集 第一巻(雜歌 29首目)に収録されています。
題に「過近江荒都時柿本朝臣人麻呂作歌」(廃墟となった近江宮を通り過ぎた時、柿本人麻呂が作った歌)とあります。
近江宮は天智天皇が遷都し、後に大友皇子が居られた場所ですが、この詩から壬申の乱の後には廃墟となったようです。
この和歌には反歌が二首詠まれています。
■ 豆知識
作者は柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)です。
近江宮で働いていた吉備津采女(きびつのうねめ)の挽歌を詠んでいることから、近江朝に出仕していたのではないかという説もあります。
この詩には別バージョンがあり、万葉集に併記されていました。内容は、
「玉たすき 畝傍の山の 橿原の ひじりの宮ゆ 生れましし 神のことごと 栂の木の いや継ぎ継ぎに 天の下 知らしめしける そらみつ 大和を置き あをによし 奈良山越えて いかさまに 思ほしけめか 天離る 鄙にはあれど 石走る 近江の国の 楽浪の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の命の 大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども 春草の 茂く生ひたる 霞立つ 春日か霧れる 夏草か 茂くなりぬる ももしきの 大宮ところ 見れば寂しも」となっています。
大きく違う部分は「夏草か 茂くなりぬる」が追記されている点です。
■ 関連地図
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