■ 解説
「生せは(なせば:為せば)」は行動すれば、を意味します。
この詩は書経の「弗盧胡獲 弗為胡成」(思い巡らさずして何を得られようか、事を起こさずして何を成せるだろうか)から取られた言葉と言われています。
■ この詩が詠まれた背景
この詩は上杉家文書の「上杉鷹山書状」に残された詩です。
この詩を詠んだ鷹山はその言葉通り、数多くの改革を実施して上杉藩復興の足掛かりを築き上げました。
■ 豆知識
作者は上杉治憲(うえすぎはるのり)です。
隠居後の号である上杉鷹山(うえすぎようざん)の方が広く知られています。
数多くの改革を行い、20万両もの借金のあった上杉藩を立て直し、次々代である上杉斉定(うえすぎなりさだ)の代にすべての借金を返済し終える基礎を作りました。
鷹山は、飢饉対策での非常食の普及、学問の推奨、公娼制度の廃止、自らも実践して見せた藩士、領民への質素倹約など、多岐にわたり、領民からも慕われていました。
鷹山は35歳で隠居して養子である上杉治広(うえすぎはるひろ)に藩主を譲っています。
鷹山は疲労と老衰で75歳の時、睡眠中に亡くなっていますが、治広もまた、その半年後、後を追うように亡くなりました。
■ 関連地図
コメント