これやこの(阿閇皇女)

短歌 に関する記事

これやこの 大和にしては 我が恋ふる
紀路にありといふ 名に負ふ背の山 阿閇皇女

■ 訳

これがかの有名な、大和で私が心惹かれていた、紀伊国に行く道にあると名高い背ノ山ですか。

■ 解説

「これやこの」はこれがあの、「大和にしては(やまとにしては)」は大和において、「恋ふる」は心が引かれる、慕い思う、「紀路(きぢ)」は紀伊国(和歌山県)へ行く道、「名に負ふ(なにおふ)」は名高い、有名な、「背の山」は妹山とセットで妹背山と呼ばれる、現在の和歌山県伊都郡かつらぎ町にある山(歌枕)、をそれぞれ意味します。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は万葉集 第一巻(雜歌 35首目)に収録されています。
題詞に「越勢能山時阿閇皇女御作歌」(背ノ山を超える時、阿閇皇女(元明天皇)が作られた歌)とあります。

■ 豆知識

作者は阿閇皇女(あへのひめみこ)、第43代天皇である元明天皇(げんめいてんのう)です。
父は天智天皇で、夫は天武天皇の息子である草壁皇子、息子は文武天皇(第42代)、娘は元正天皇(第44代)です。

元明天皇の時代、自然銅(和銅:ニギアカガネ)の採掘に成功したことで元号を和銅とし、初の国内における流通貨幣である和同開珎(わどうかいちん)を作りました。
ちなみに、和同開珎以前の国産貨幣としては無文銀銭(むもんぎんせん)、富本銭(富夲銭:ふほんせん)が知られていますが、一般に流通はしなかったようです。
なお、出土品としては中国で使われていた銅貨である貨泉(かせん)が弥生時代の遺跡から見つかっています。

平城京への遷都や古事記が完成したのも元明天皇の時代の事です。
また、各国司に対して風土記を編纂するよう命じました。

■ 関連地図

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