風の音の(後嵯峨院御歌)

短歌 に関する記事

風の音の 俄に變る くれはとり
あやしと思へば 秋は來に鳬 後嵯峨院御歌

■ 訳

風の音が突然変わっておかしいなと思っていたら、秋になっていたんだなぁ。

■ 解説

「俄に變る(にわかにかわる)」は突然変わる、「くれはとり(呉織)」は呉国の織り方で織られた織物やその職人を指す言葉(呉織には綾があることから、”あや”に掛る枕詞(今回は枕詞として使われています))、「あやし」はおかしい、「來に鳬(きにけり)」は来たのだなぁ(詠嘆)、をそれぞれ意味します。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は風雅和歌集 第五巻(秋歌上)に収録されています。
題は「寳治二年、百首の歌人々に召されけるついでに、早秋を」(1248年、宝治百首を行うための歌人を召された際、初秋について詠んだ。)とあります。
宝治百首にもこの詩は載せられており、詞書に「早秋」とあります。

■ 豆知識

作者は後嵯峨天皇(ごさがてんのう)で、第88代天皇です。
土御門天皇の第二皇子で第87代天皇である四条天皇がわずか12歳で急死してしまったため、公家や鎌倉幕府の様々な思惑のなか、天皇として即位されました。
北条氏とは親族関係であったこともあり、当時の公家である平経高の書いた平戸記(へいこき)や広橋経光の書いた民経記(みんけいき)には即位を非難する記述が残されています。

後の天皇家が南北二つに分かれて争った南北朝時代は後嵯峨天皇が後継を指名する前に崩御されてしまったことが大きな原因だと言われています。
後嵯峨天皇と中宮、西園寺姞子の息子である後深草天皇、亀山天皇はそれぞれ持明院統、大覚寺統を名乗り、その子孫は約200年もの間争いあったことになります。

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