■ 解説
「別に(わかれに)」は別れ際に、「こがる(焦がる)」は恋い焦がれる、「かへさ(帰さ)」は帰り、をそれぞれ意味します。
■ この詩が詠まれた背景
この詩は金葉和歌集 第三巻(秋歌)に収録されています。
題に「七夕の心をよめる」とあります。
■ 豆知識
作者は輔仁親王(すけひとしんのう)で、後三条天皇の第三皇子です。
金葉和歌集に”三宮”(さんのみや)と書かれた理由ですが、今鏡に「かやうの御哥ども、むくのかみのえらびたてまつれる金葉集に、輔仁のみことかきたりければ白河院は、いかにこゝに見むほど、かくはかきたるぞと、おほせられければ三宮とぞかきたてまつれる。」とあり、白河法皇の命によって書き直されたようです。
輔仁親王は白河法皇の異母弟に当たる人物ですが、白河法皇には冷遇されており、永久の変に巻き込まれる形となったことで、完全に皇位継承から遠ざけられました。
父である後三条天皇も白河天皇の後には実仁親王(輔仁親王の同母兄で白河天皇の異母弟)を次代天皇に、輔仁親王を皇太弟とするようにと遺言を残していたのですが、実仁親王が15歳という若さで亡くなったこともあり、白河天皇は遺言を完全に無視する形で、実子である堀河天皇を次代天皇として自身は退位し、上皇として実権を握ります。
藤原家を影響を排斥するという思惑もあった朝廷では、輔仁親王の皇位継承に期待を掛けていましたが、結局その目論見が実現することはありませんでした。
なお永久の変は、当時の状況が複雑であったこともあり、現在も不明な点が多い事件です。
事件の内容(鳥羽天皇の暗殺未遂)に対して罪に問われた人物が少なすぎる点などから、現在も白河法皇による自作自演説派と輔仁親王を支持する団体による犯行(個人的な犯行)説派に分かれています。
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