■ 解説
「鷲の住む(おおとりのすむ)」は鷲の住む、「深山(みやま)」は人里離れた深い山、「八幡太郎」は源義家、をそれぞれ意味します。
■ この詩が詠まれた背景
この詩は梁塵秘抄に収録されている今様です。
残念ながら梁塵秘抄のほとんどは散逸しており(全10巻書かれたそうですが、2~9巻までが残っていません)、後白河法皇が残された多くの今様は、現在その内容をほとんど知ることができません。
■ 豆知識
作者は分かっていません。
源義家(みなもとのよしいえ)について詠まれたものですので、1106年以降、1139年以前に詠まれたものと推測されます。
また、詩の中に「同じき源氏」とあることから、当時敵対関係にあった美濃源氏の祖である源国房やその家臣が詠んだのかもしれません。
義家は平安時代後期の武将で源頼朝や足利尊氏の祖先にあたる人物です。
武家社会の礎を築いたと言っても過言ではなく、後の歴史に多大な影響を与えました。
前九年の役で清原氏の力を借りて安倍氏と戦い、奥州は清原氏が支配することになります。
この時、義家は朝廷から下賜された恩賞を共に戦った関東の武士にも分け与えたことで、関東の武士の信頼を得ました。
清原氏の内紛である後三年の役が起こると、清原真衡を支援します。
真衡は後に藤原真衡と名を改め、奥州藤原氏の祖となりました。
(ちなみに真衡は清少納言と同じ清原房則の血筋に当たります。)
白河上皇は後三年の役における義家の働きを私戦と断じて褒賞を与えようとしませんでした。
義家は共に戦った武士に自腹を切って褒賞を分け与えたため、その結束はより一層強くなります。
後に源頼朝が呼びかけた際に多くの武士がその旗のもとに集まりますが、それは義家への恩義があったからこそと考えられています。
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