■ 解説
「あやめ艸(あやめそう)」は菖蒲、「足に結ん(あしにむすばん)」は足に結ぼう、「草鞋の緒(わらじのお)」をわらじと足を固定するひも状の部分(足に巻き付けるようにして履きます)、をそれぞれ意味します。
季語は「あやめ艸」で夏です。
■ この詩が詠まれた背景
この句はおくのほそ道、「仙台」の中で芭蕉が詠んだ俳句です。
前回の武隈の旅の続きです。
おくのほそ道には、
「名取川を渡て仙台に入。あやめふく日也。
旅宿をもとめて四五日逗留す。爰に 画工加衛門と云ものあり。
聊心ある者と聞て知る人になる。
この者年比さだかならぬ名ところを考置侍ればとて、一日案内す。
宮城野の萩茂りあひて、秋の景色思ひやらるゝ。
玉田よこ野つゝじが岡はあせび咲ころ也。
日影ももらぬ松の林に入て爰を木の下と云とぞ。
昔もかく露ふかければこそ、みさぶらひみかさとはよみたれ。
薬師堂天神の御社など拝て、其日はくれぬ。
猶、松嶋塩がまの所〃画に書て送る。
且、紺の染緒つけたる草鞋二足餞す。
さればこそ風流のしれもの、爰に至りて其実を顕す。
(本俳句)」
(名取川を渡って仙台に入った。(今日、5月4日は)菖蒲を飾る日だ。
旅の宿を探して4~5日逗留した。ここに画工加右衛門という人がいた。
いささか(風流を)理解できる人だと聞いて、知り合いになった。
画工加右衛門は、「しばらく場所も分かっていなかった名所を調べておきました」と言って一日案内してくれた。
(仙台市)宮城野には自生する萩が数多く茂っており、秋の光景が目に浮かぶようだ。
玉田、横野、榴ヶ岡はアセビの花が咲いていた。
日の光も通らないほど茂った松の林に入り、「ここが木の下です」と案内された。
昔も、このように霧が深かったからこそ、「みさぶらひ みかさと申せ 宮木のの このしたつゆは あめにまされり」と詠んだのだろう。
(その他、)薬師堂や天神の御社などを参拝して、その日は終わった。
松島と塩釜の所々を絵にして送っていただき、さらに、紺の染緒を付けたわらじを二足頂いた。
それでこそ風流を知る者だ。
ここにきて(画工加右衛門は風流人としての)本性を表した。(そこで私も負けじと、)
(本俳句)(と詠んだ。))とあります。
■ 豆知識
作者は松尾芭蕉です。
画工加右衛門という人物ですが、本名を山田嘉右衛門と言い、仙台の版木屋を営んでいた人物です。
俳人、大淀三千風(おおよどみちかぜ)の門下生の一人です。
ちなみに、芭蕉が仙台に行った理由の一つが三千風に会うためであったと曾良旅日記に記載があります。
(三千風は留守であったため、実際に会うことはできなかったようです。)
「みさぶらひ みかさと申せ 宮木のの このしたつゆは あめにまされり」の和歌は古今和歌集 第二十巻 1091首目に乗せられている和歌です。
この詩については次回解説します。
■ 関連地図
コメント