松嶋や(曾良)

俳句 に関する記事

松嶋や 鶴に身をかれ ほとゝぎす 曾良

■ 訳

松島の空を飛ぶホトトギスよ、その姿を鶴変えて(この景色を見せて)欲しいよ。

■ 解説

「松嶋(まつしま)」は日本三景の一つの松島(宮城県の松島湾から見える島々)、「身をかれ(みを借れ)」は身を借りて、をそれぞれ意味します。
季語は「ほとゝぎす」で夏です。

■ この詩が詠まれた背景

この句はおくのほそ道、「松島」の中で曾良が詠んだ俳句です。
前回の仙台の旅の続きです。
(仙台から、壺の碑、末の松山、塩釜明神まで詠まれた句は載せられていません。) おくのほそ道には、
「抑ことふりにたれど、松嶋は扶桑第一の好風にして、凡洞庭西湖を恥ず。
東南より海を入て、江の中三里、浙江の 湖をたゝふ。
嶋々の数を尽して、欹ものは天を指、ふすものは波に葡蔔。
あるは二重にかさなり三重に畳みて、左にわかれ右につらなる。
負るあり抱るあり、児孫愛すがごとし。
松の緑こまやかに、枝葉汐風に吹たはめて、屈曲をのづからためたるがごとし。
其景色えう然として美人の顔を粧ふ。
ちはや振神のむかし、大山ずみのなせるわざにや。
造化の天工、いづれの人か筆をふるひ詞を尽さむ。

雄嶋が磯は地つゞきて海に出たる嶋也。
雲居禅師の別室の跡、坐禅石など有。
将松の木陰に世をいとふ人も稀々見え侍りて、落穂松笠など打けぶりたる草の庵閑に住なし、いかなる人とはしられずながら、先なつかしく立寄ほどに、月海にうつりて昼のながめ又あらたむ。
江上に帰りて宿を求れば、窓をひらき二階を作て、風雲の中に旅寝するこそ、あやしきまで妙なる心地はせらるれ。
(本俳句)
予は口をとぢて眠らんとしていねられず。
旧庵をわかるゝ時、素堂松嶋の詩あり。
原安適松がうらしまの和哥を贈らる。
袋を解てこよひの友とす。
且杉風濁子が発句あり。

十一日、瑞岩寺に詣。
当寺三十二世の昔、真壁の平四郎出家して、入唐帰朝の後開山す。
其後に雲居禅師の徳化に依て、七堂甍改りて、金壁荘厳光を輝、仏土成就の大伽藍とはなれりける。
彼見仏聖の寺はいづくにやとしたはる。」

(そもそも、松島は我が国随一の良い景色として、かの(中国の)凡洞庭や西湖にだって負けていない。
海は東南の方角から入り、入り江は三里(12km)、(中国)浙江(省)の潮(銭塘江)を湛えている。
ありとあらゆる(形状の)島が(この湾に)集まっていて、そびえ立つものは天を指し、横になったものは波に腹這っている。
あるものは二段重ね、またあるものは三段重ねとなっており、左では別れ、右では連なっている。
背負ったり抱いたりと、まるで子や孫を愛するかのような様子も見られる。
松の緑は色濃く、枝葉は潮風に吹かれてたわみ、その折れ曲がった様子は(まるで)自然に整枝したかのようだ。
その光景は物思いに深く沈んでいる美女の顔のように見える。
ちはやぶる神代の昔、オオヤマツミ神の成された業だったのだろうか。
天地万物を創造した天の所業か、(このような素晴らしい光景を)人が描き、言葉にすることなどできようか。

雄島が磯は地続きで海に突き出ている島だ。
雲居禅師の僧堂跡や座禅石などがある。
さらに、松の木陰には世捨て人も稀に見えており、落ち葉や松ぼくりなど(を焼いた)煙が立ちのぼる静かな草庵の住まいのようで、いったいどのような人が住んでいるのか知らぬまま、心惹かれる思いで立ち寄ると、月は海面に映り、昼とは違う光景が浮かんでいる。
海岸の入り江まで戻って宿を取り、二階の窓を開いて(見る光景は)、大自然の中で旅寝をする(私にとって)不思議なほど素晴らしい心地だった。
(本俳句)
私は句を詠むことを断念し、何とか眠ろうとしたが眠れない。
(江戸にあった)芭蕉庵を出る際に、(友人の)山口素堂が松島の詩を詠んでくれた。
原安適(はらあんてき)は松賀浦嶋の和歌を贈ってくれた。
それらを袋から取り出して、今夜の友とする。
弟子である杉山杉風、中川濁子の発句も添えられていた。

(5月)11日、瑞巌寺を参拝。
この寺の(住職)三十二代目である真壁平四郎は出家して中国(当時は宋)に渡り、帰国後寺を再興した。
その後、雲居和尚の徳による教化によって七堂伽藍(塔、金堂、講堂、鐘楼、経蔵、僧房、食堂)は改修され、豪華絢爛に光り輝き、まるで浄土をこの世に表したかのような大寺院となった。
かの見仏(けんぶつ)の寺はどこだろうと偲ばれる。
)とあります。

■ 豆知識

作者は曾良です。
松尾芭蕉が松島で詠んだ句は載せられていません。
「松嶋や ああ松島や 松島や」という句がありますが、これは芭蕉の句ではなく江戸時代後期の狂歌師である田原坊が作ったものです。

おくのほそ道文中に登場する「扶桑(ふさう)」は中国の伝説として記述された東海にある日の昇る島に生える神木である扶桑木から、日本の別名として使われました。
現在では書かれている距離からカナダやメキシコを指していたのではといった説もあります。

「雄嶋」は宮城県宮城郡松島町松島松島海岸にある島で、鎌倉時代の僧である頼賢(らいけん)の碑や御嶋真珠稲荷大明神などが奉られています。

「素堂松嶋の詩あり」と書かれている部分ですが、これは山口素堂句集に載せられている「松島の 松陰にふたり 春死なむ」です。
山口素堂句集には題として「芭蕉曾良餞別」と書かれています。

「見仏聖(けんぶつひじり)」は平安時代末期の僧で、撰集抄にその記述が残されています。
雄島に住んで草庵を結び、質素な生活をして法華経六万巻を12年間読誦したと伝えられており、その高名は時の天皇である鳥羽天皇もご存じで仏像などが贈られたことが知られています。

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