冬のきて(圓光院入道前關白太政大臣)

短歌 に関する記事

冬のきて 霜の降りはも 哀れなり
我もおいその もりの下草 圓光院入道前關白太政大臣

■ 訳

冬になって(地面の草々を隠すように)降りた霜はとても寂しい。
私も老蘇の森に生える雑草(日陰者)のようなものだから。

■ 解説

「冬のきて(ふゆの来て)」は冬がやって来て、「霜の降りはも(しものおりはも)」は降りた霜は(”はも”は強調)、「おいその もり(老蘇の森)」は現在の滋賀県近江八幡市安土町東老蘇にある奥石神社にある森(歌枕)、「下草(したくさ)」は木の下に生えている草、あるいは日陰者、をそれぞれ意味します。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は風雅和歌集 第八巻(冬歌)に収録されています。
題は「杜初冬と云ふ事を」(森の初冬ということ(心)を(詠んだ))とあります。

この詩で気になるのは「我」を「下草」に例えて詠んでいるところです。
氏長者としての実権を渡さなかった父兼平の影響や、上手く世を渡るために自身を低く見せた、など色々深読みできそうですが詳細は分かりません。

■ 豆知識

作者は鷹司基忠(たかつかさもとただ)で、最高官である太政大臣にまで昇りつめた鎌倉時代の公卿です。
藤原北家の嫡流である近衛兼平(鷹司兼平)が父で、鷹司家の祖に当たります。

基忠はかなり早く出世しており、9歳の時に叙爵、10歳で従三位となり公卿となります。
さらに15歳で内大臣、18歳で右大臣になり、同年に従一位に叙せられています。
さらに同年に左大臣、関白になり、38歳頃に太政大臣になったようです。
これは当時九条家が没落の最中にあり、その影響があったものと考えられています。

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