曇りなき(伊達政宗)

辞世の句 に関する記事

曇りなき 心の月を 先だてて
浮世の闇を 照してぞ行く 伊達政宗

■ 訳

心に浮かぶ雲一つない月の光(の如き自分の信念)だけを頼りに、真っ暗で先の見えない乱世を生き抜いた(、そんな人生だった)。

■ 解説

「心の月(こころのつき)」は精神的な支柱("心"は意志や判断、”月”は後の詩から信念を指します)、「先だてて(さき立てて)」は先んじて、「浮世(うきよ)」はつらいこの世(”浮”は”憂き”となり、”憂き世”はここでは政宗の活躍した乱世)、「闇(やみ)」は暗やみ、あるいは現世(”月”の光に対する対義語)、をそれぞれ意味します。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は伊達家17代目当主である伊達政宗(だてまさむね)の辞世の句です。
政宗は寛永13年(1636年)5月24日に参勤交代で出向いていた江戸で亡くなりました。
遺体は防腐処理された後仙台に帰り、後に建立された瑞鳳殿(ずいほうでん)に埋葬されました。

■ 豆知識

「伊達」の読み方は本来は「いだて」が正しいようです。
これは、政宗がエスパニア(スペイン)との交易の為の使者(慶長遣欧使節)を送った際に書かれた書簡(伊達政宗遣欧使節記)から分かっています。
江戸時代頃から”いだて”と”だて”が混用されるようになり、現在一般的に知られる”だて”として呼ばれるようになったそうです。

伊達氏には伊達政宗という名の当主は9代目と17代目の二人がいます。
この詩を詠んだ17代目政宗は室町時代の大名で伊達家中興の祖である9代目にあやかり付けられた諱です。
ちなみに伊達氏は藤原北家の嫡流だそうです。

5歳頃、疱瘡(天然痘)に罹り、右目を失明します。
江戸時代に書かれた治家記録には、その容姿を嫌った母親から疎まれ、母は弟である伊達政道を溺愛します。
政道は後に母親と共謀し、政宗暗殺を企てて毒を盛ったことで殺害されたとされていますが、近年ではこの話は創作ではないかと考えられています。

政宗は非常に多趣味であったことが知られており、能、和歌、漢詩、茶道、料理などが知られています。
特に料理に関しては、自ら厨房に立つほどの料理好きで高野豆腐とずんだ餅の考案者であったと伝えられています。
ちなみに、政宗のご先祖に当たるとされる藤原山蔭(ふじわらのやまかげ)は四条流庖丁式の創始者として知られています。

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