我が背子は(當麻真人麻呂妻)

短歌 に関する記事

我が背子は いづく行くらむ 沖つ藻の
名張の山を 今日か越ゆらむ 當麻真人麻呂妻

■ 訳

夫は今どの辺りに行っているのでしょう。
名張の山を今日越える頃でしょうか。

■ 解説

「いづく」はどこ、「沖つ藻の(おきつもの)」は”名張(なばり)”に掛る枕詞(”沖つ藻”の意味は海底に生える藻のこと、名張は隠(なばり)と同音で、沖つ藻が隠れたものであることから掛っています)、「名張の山(なばりのやま)」は現在の三重県名張市周辺の山、をそれぞれ意味します。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は万葉集 第一巻(雜歌 43首目)、及び第四巻 (相聞 511首目)に収録されています。
40首目と同様、持統天皇が伊勢に御幸された際に従駕した夫(当麻麻呂)を待つ妻が都で詠んだ詩となります。
この和歌は重出して選歌されている詩で、43首目の題詞は「當麻真人麻呂妻作歌」、511首目の題詞は「幸伊勢國時當麻麻呂大夫妻作歌一首」((持統天皇が)伊勢国へ御幸した際に当麻麻呂の妻が作った詩一首)とあります。

■ 豆知識

作者は当麻麻呂妻(たいまのまろのつま)です。
夫である当麻麻呂についても、持統天皇が伊勢に御幸された際に従駕したこと以外よくわかっていません。

万葉集にはいくつか重出した詩があり、この詩もその一つです。
34首と1716首、43首と511首(今回の詩)、503首と3481首、1224首と1732首、1511首と1664首、1665首と1667首、が重出しているようです。

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