我妹子を(石上麻呂)

短歌 に関する記事

我妹子を いざ見の山を 高みかも
大和の見えぬ 国遠みかも 石上麻呂

■ 訳

去来見山の尾根が高いのか、いざ遠くまで見渡しても、大和も見えないよ。

■ 解説

「我妹子を(わぎもこを)」は”いざ見の山”に掛る枕詞(”我妹子”は妻、恋人の意味)、「いざ見の山を(去来見の山尾)」は現在の奈良県吉野郡東吉野村平野にある高見山の尾根(”いざ、見”と言葉を掛けています)、「遠み(遠見)」は遠くを見ること、をそれぞれ意味します。
余談ですが、この和歌の「大和」の部分は万葉仮名で「日本」と書かれています。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は万葉集 第一巻(雜歌 44首目)に収録されています。
題詞に「石上大臣従駕作歌」と書かれており、40首目と同様、持統天皇が伊勢に御幸された際に従駕した石上麻呂が詠んだ詩です。

■ 豆知識

作者は石上麻呂(いそのかみのまろ)です。
壬申の乱の際に大友皇子が自害して群臣たちが散り散りになる中、最後まで付き従っていたことが日本書紀(巻28 天武紀)に記載されています。
以降、天武天皇に赦された後は高官を歴任し、78歳で亡くなった時には元正天皇から従一位を追贈されています。
宮廷内だけでなく人民からも人望が厚く、続日本紀 8巻には「百姓追慕。無不痛惜焉。」(すべての人々は追慕し、悲しみその死を惜しまぬ者はいなかった。)と書かれています。

石上麻呂は物部氏の一族で、大友皇子が自害した時の天武紀記述では物部連麻呂とあります。
後に改名し、日本書紀(巻29)では朱鳥元年(686年)、大津皇子が謀反を起こした際の記述に石上朝臣麻呂として名が記されています。

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