夏草や(松尾芭蕉)

俳句 に関する記事

夏草や 兵どもが 夢の跡 松尾芭蕉

■ 訳

あれほど栄えた奥州藤原氏の城跡に残されたのは、夏に長く生い茂る草だけだ。

■ 解説

「夏草(なつくさ)」は夏に生い茂る草、「兵ども(つはものども)」は武器を持って戦う人(ここでは奥州藤原氏)、をそれぞれ意味します。
季語は「夏草」で夏です。

■ この詩が詠まれた背景

この句はおくのほそ道、「平泉」の中で芭蕉が詠んだ俳句です。
前回の仙台の旅の続きです。
(この前の章である「石の巻」では句は載せられていません。)
おくのほそ道には、
「三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。
秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。
先高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。
衣川は和泉が城をめぐりて高館の下にて、大河に落入。
泰衡等が旧跡は衣が関を隔て南部口をさし堅め、夷をふせぐとみえたり。
偖も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢となる。
国破れて山河あり。城春にして草青みたり
と笠打敷て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。
(本俳句)」

(奥州藤原氏三代の栄華も一瞬の夢と消え、(且つての)大門(南大門)の跡は(居館から)4kmほど手前にある。
藤原秀衡の館跡は(今では)田や野に成り果ててしまい、金鶏山だけが形を残している。
まず(源義経最期の地である)衣川館に登って見ると、北上川は南部から流れる大河であった。
衣川は和泉三郎の城(泉ヶ城)の周囲を流れ、衣川の館の下で大河に流れ込んでいる。
藤原泰衡らの旧跡は衣が関を隔てて南からの出入り口を固めて蝦夷からの襲来を防いだように見える。
それはそうと、忠義の厚い優れた家臣がこの場所に篭り、競い合った功名も(この夏の)一時の草むらとなった。
「国破れて山河在り、城春にして草青みたり」
(という杜甫の詩を思い出し、)笠を敷き(腰を下ろして)、時が過ぎるまで(栄枯盛衰に)涙した。
(本俳句)
)とあります。

■ 豆知識

作者は松尾芭蕉です。

金鶏山は秀衡が富士山を模して作らせた山で、その頂上には祖霊を慰めるためと、金でできた鶏の像が埋められているという伝説があります。
何度かその伝説を信じて調査や盗掘が行われたようですが、現在に至るまで見つかっていないそうです。

「国破れて山河あり。城春にして草青みたり」は中国の杜甫が詠んだ詩、五言律詩「春望」の一部です。
全文は、
国破山河在
城春草木深
感時花濺涙
恨別鳥驚心
烽火連三月
家書抵萬金
白頭掻更短
渾欲不勝簪
で、文語体で表すと「国破れて山河在り、城春にして草木深し、時に感じては花にも涙を濺ぎ(そそぎ)、別れを恨んでは鳥にも心を驚かす、烽火(ほうか)三月に連なり、家書萬金に抵る(あたる)、白頭掻かけば更に短く、渾べて簪(しん)に勝え(たえ)ざらんと欲す」となります。
意味は、「国は敗れたが山や河は変わることなく、場内は春となり新緑を湛えている。(戦争の)頃を思い出し(美しく咲く)花を見ても涙が落ち、(戦争によって失われた親しい人々との)別れの悲しみに鳥の声にすら心を痛めてしまう。季節が移り変わってものろしの火はずっと灯され、(何時まで待っても届かない)家族からの手紙は大金にも相当する。(心労で)すっかり白くなった頭をかくと髪は抜け落ちてしまい、かんざしも挿せないほどになってしまった。」といった感じになります。
ちなみに芭蕉は杜甫に傾倒しており、おくのほそ道序文の「舟の上に生涯をうかべ、」の部分は長安に戻る途中の舟で客死した杜甫を指すと言われています。

この章では他に二句載せられています。
他の句については次回、次々回に紹介します。

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