志ぐれつゝ(修理大夫顯季)

短歌 に関する記事

志ぐれつゝ かつちる山の 紅葉を
いかに吹く夜の 嵐なる覽 修理大夫顯季

■ 訳

時雨に打たれながら散っていく山の紅葉(の姿は)、どれほど(強く)吹きつける夜の嵐なのだろう。

■ 解説

「志ぐれつゝ(しぐれつつ)」は時雨に打たれながら、「かつちる(且つ散る)」はその傍から散る、「いかに(如何に)」はどれほど、「嵐なる覽(あらしなるらん)」は嵐なのだろう(推量)、をそれぞれ意味します。
この詩は紅葉した葉を散らせていく時雨の様子を嵐に例えて詠んだ詩です。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は金葉和歌集 第四巻(冬歌)に収録されています。
題に「從二位藤原親子の家の草子合に志ぐれをよめる」(従二位親子草子合で「時雨」を詠んだ)とあります。
ちなみに「草子合(草紙合せ)」とは物合せの一種で互いに持ち寄った草紙について、閉じ方や書の文字の優劣を競ったり、詩を読んだりする遊戯の事です。

■ 豆知識

作者は藤原顕季(ふじわらのあきすえ)です。
白河天皇の乳母である藤原親子(ふじわらのしんし)は藤原顕季の母に当たります。
母の縁もあって、白河天皇からは実の兄弟のように信頼されており、国司を歴任しました。

息子の藤原顕輔(ふじわらのあきすけ)は六条藤家の開祖となっています。
また、顕輔の詠んだ詩は小倉百人一首 79首目にも選歌されています。

何かを嵐に例える詩として、拾遺和歌集 第四巻には「ひねもすに みれどもあかぬ 紅葉は いかなる山の 嵐なる覽」という詩が詠まれています。
これは紅葉した山の様子を嵐に例えた詩です。

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