いかばかり(源俊頼朝臣)

短歌 に関する記事

いかばかり 秋の名殘を 眺めまし
けさは木葉に 嵐ふかずば 源俊頼朝臣

■ 訳

どれくらい秋の面影を眺められるだろうか。
今朝は嵐が吹いていないので木の葉は残っているけれど。

■ 解説

「いかばかり(如何ばかり)」はどれほど、「眺めまし(ながめまし)」は眺められるだろう(”まし”は推量)、「嵐ふかずば(あらし吹かずば)」は嵐は吹いていないので(”ば”は已然形(〜ので、〜だから))、をそれぞれ意味します。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は千載和歌集 第六巻(冬歌)に収録されています。
題に「堀川院の御時百首の歌奉りける時初冬の心をよみ侍りける」(堀河百首(康和4 (1102) 〜5年頃行われた歌合)で歌を(堀河上皇に)奉る際に初冬の心を詠んだ)とあります。

■ 豆知識

作者は源俊頼(みなもとのとしより)で宇多源氏の宮廷歌人です。
父は大納言源経信(みなもとのつねのぶ)、母は光孝源氏である土佐内侍(源貞亮(みなもとのさだすけ)の娘)です。
小倉百人一首では74首目、「うかりける…」が選歌されています。
父も歌人として知られていますが、母である土佐内侍もまた、金葉和歌集に一首入集しています。

今回の和歌はどことなくオー・ヘンリーの小説である「最後の一葉」を彷彿とさせます。
学校の教科書にも載っているためこの話をご存知の方は多いと思いますが、ざっくりと説明すると、重い肺炎に罹りすっかり生きる気力を失ってしまったジョンジーは窓から見える枯れかけたツタを見て、あのツタの葉がすべて落ちてしまったら自分の命もないのだと同室のスーに言いました。
年老いた画家ベアマンはスーからその話を聞いて馬鹿げていると一喝しますが、嵐の吹きすさぶ夜、いよいよすべての葉が落ちてしまいそうだという時、風雨にその身をさらされながらもこっそりとツタの葉の絵を壁に描きに行きます。
翌日になり、ツタを見たジョンジーは嵐の中耐え抜いた一枚の葉を見て生きる気力を取り戻し、病状も快方に向かいますが、ベアマンは肺炎に罹ってしまい、その2日後に亡くなってしまいます。
スーは最後まで残ったツタの葉が、実はベアマンが日頃から言っていた最高傑作だったのだと知ったところで物語は終わります。

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